こんにちは![わんわん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/003.gif)
私たち 人間にとっての “幸福” というものは・・・
人 それぞれによって・・・
さまざまな形で ”異なっている” と 考えられます。![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
![てんびん座](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/218.gif)
しかし 人間にとっての ”最上の幸福” とは 何か? を 考える時・・・
そこでは 人類 すべてに ”共通するもの” を 考える必要が あるようです。
そして それを 理解するために 重要なのが・・・
”原始仏教” を 人類に示していた ”ブッダの教え” であると 考えられます。![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
これまで このブログでは 数回にわたって・・・
原始仏典 スッタニパータ 第二章 第四節 ”こよなき幸せ” を 考えて参りました。
それでは ここで もう一度 その内容を おさらいします。![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
258 (神は ブッダに 尋ねた)
多くの神々と 人間とは 幸福を望み 幸せを思っている。
(ブッダよ) 最上の幸福を 説いて下さい。
259 (ブッダは 答えた)
諸々の ”愚者” に 親しまないで・・・
諸々の ”賢者” に 親しみ・・・
”尊敬すべき人” を 尊敬しなさい。
ーこれが こよなき 幸せである。ー(以下この部分は省略)
260 ”適当な場所” に 住み・・・
あらかじめ ”功徳” を 積んでおり・・・
正しい ”誓願” を 起こしていること。
261 ”深い学識” が あり・・・
”技術” を 身につけていること。
”身を慎む” ことを よく学び・・・
”言葉” が みごとであること。
262 ”父母” に つかえる(奉仕する)こと。
”妻子” を 愛して 守ること。
“仕事” に 秩序を保ち 混乱させないこと。
263 ”施与(さまざまなものを 誰かに与えること)” を すること。
”理法(この世の真理)” に かなった 行いをすること。
”親族” を 愛して 守ること。
”非難” を 受けない 行為をすること。
264 ”悪” を やめて ”悪” を 離れること。
”飲酒” を 慎むこと。
”徳行(よい行い)” を ゆるがせにしないこと。
265 ”尊敬” と ”謙遜” を すること。
”満足” と ”感謝” を すること。
適当な時に ”教え(真理の教え)” を 聞くこと。
266 ”耐え忍ぶ” こと。
”言葉” が やさしいこと。
諸々の ”道の人(修行者)” に 逢うこと。
適当な時に ”理法についての教え” を 聞くこと。
267 ”修養” すること。
”清らかな行い” を すること。
”聖なる真理” を 見る(知る)こと。
”安らぎ(ニルヴァーナ)” を ”体得” すること。
268 ”世俗のことがら” に 触れても・・・
心が ”動揺しない” で・・・
”憂い” が なく・・・
”汚れ” を 離れており・・・
”安穏(安全)” で あること。
269 これらのことを 行うならば・・・
いかなることに 関しても ”敗れる” ことがない。
あらゆることについて ”幸福” に 達する。
ーこれが こよなき 幸せである。ー
そして 原典の翻訳者であった 中村元氏は・・・
第四節の 最後の注釈において 以下のように 結んでいました。
No.269 ー幸福ー
ここに述べられている 幸福論は 必ずしも 体系的とは言えない。
原文は 詩句のため 韻律の関係もあり・・・
論理的に 筋道立てて 述べられているわけではない。
ただ 幸福に喜び 満ち溢れている心境が 次から次へと ほとばしっている。
その ”喜び” の 気持ち・・・
それは 現在の 私たちのものでもある と 言える。![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
ここで 中村氏は 人間にとっての ”喜び” というものは・・・
ブッダが 生きていた ”2500年前” と・・・
現代に生きている 私たちが 感じるものと・・・
それらは ”同じである” ということを 示しています。
しかし ”2500年前の社会” と 現代の ”日本社会” に おいては・・・
全くと 言っていいほど ”価値観” が ”異なっている” わけです。![てんびん座](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/218.gif)
では なぜ 中村氏は ”同じ喜び” であると 示していたのか?・・・
それは そこに 人類に ”共通” している・・・
この世界での ”真理” が 存在しているからです。
それゆえに 私たちも その内容に “共感” できるのです。![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
しかし そのことを 別の角度から 考えると・・・
“真理” を ”知らない” 人間や・・・
“真理” を “知ろうともしない” 人間というのは・・・
ブッダが ここで示している内容を “共感できない” ことも 意味しているのです。
私たちが ”原始仏典 スッタニパータ” を 読む際には・・・
このことも 十分に 認識しておく 必要があります。![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
それでは 第四節の No.259~No.268の詩経に・・・
“一貫” しているものは 何か? を 考えると・・・![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
そこには 人間としての “理想の生き方” が 示されているのであり・・・
そこには “充実した人生” を 実現している・・・
“理想の人間像” を 見ることができる と 考えられます。
つまり 私たちは それに ”共感” して・・・
”同じ人間” として ”喜ぶ” ことが できるようですね。![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
では 私たちは この人生において・・・
なぜ “充実” や ”喜び” を 感じる 必要があるのか?・・・
それは 原始仏典 スッタニパータの 別の個所にも 書かれているのですが・・・![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
この人生で “充実” や ”喜び” を 感じるのではなく・・・
その反対に ”むなしさ” を 感じている 人間というものは・・・
“地獄に堕ちる” というようなことが 示されているのです。
それゆえに 私たちは この人生において・・・
“充実” や ”喜び” を 感じる 必要があるとも 考えられます。
今後の このブログでは この内容についても 考えて参ります。![メモ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/131.gif)
つまり ブッダが 説いていた “幸福論” というものは・・・
”現世” だけに限らず・・・
”来世” も 視野に入れている “幸福論” であったことが 理解されるのです。
そして その “幸福” というのは 前回の記事でも 深く考えましたが・・・
ブッダが “人生の目標” として 目指していた・・・
”涅槃寂静(ニルヴァーナ)” である ”平穏の状態” であると 考えられます。![虹](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)
また No.269の詩経には・・・
これらのことを 行うならば・・・
いかなることに 関しても ”敗れる” ことがない・・・と 書かれていました。
では “敗れる” とは どういう意味か? といえば・・・
それは ”平穏” とは ”正反対の状態” である・・・
人間として ”苦しむ状態” であると 考えられます。![しょぼん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/144.gif)
つまり 第四節での ”こよなき幸せ” に 書かれている・・・
数多くの 内容というのは・・・
私たちのような ”世俗に生きる者” に対する・・・
”苦しまない生き方” が 列挙されている ということも 理解できるのです。![メモ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/131.gif)
それゆえに 私たち 人間 すべてにとって・・・
”共通する幸福” というものは・・・
”苦しみのない人生” を 実現することである と 理解できます。![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
そして それが 実現できると・・・
私たちは この人生で ”死” を 迎えても・・・
”来世以降” でも ”苦しまない状態” が 実現されることになり・・・
“永遠の幸福” へと 導かれることが 期待されるのです。
これこそが 原始仏教における ”ブッダの教え” の・・・
その “最終的な目標” であったことが わかって来るのです。![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
皆様も ”ブッダの教え” が 集約されている・・・
”原始仏典 スッタニパータ” を お読みになり・・・
ご自身の ”これまでの生き方” から・・・
人間としての “理想の生き方” に 近づけてみては いかがでしょうか?
それが 私たちのような ”世俗に生きる者” が・・・
この世界から ”救われる” ための “最後の方法” であると 考えられます。![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
そして 私たちのような ”世俗に生きる者” というのは・・・
“出家者” に 比べれば ”救われ難い” とも 考えられています。(※)
それは ”世俗の生活” では・・・
”人間社会” での “さまざまな障害” が 多いのであり・・・
そこでは “真理” を 知ることが 困難であると 考えられるからです。![ショック!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/143.gif)
さらに 私たちに 残されている ”現世での時間” は・・・
残念ながら ”限られて” います。![時計](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/286.gif)
それゆえに 私たちが この人生で ”真理” を 知るためには・・・
”余計な時間” を ”費やさない” ためにも・・・
世俗社会での ”人間関係” を 限りなく ”円滑にする” ことによって・・・
”さまざまな障害” を ”取り除いておく” ことも 重要なのです。
そして その方法を 具体的に 示されていたのが・・・
第二章 第四節の ”こよなき幸せ” に 示されていたと 考えられます。
原始仏典で 示されていた ”こよなき幸せ” というのは・・・
”このうえない幸せ” つまり ”最上の幸福” という意味です。
私たちは 自分自身にとっての “最上の幸福” について・・・
”死後の来世” を 迎えてしまう前に・・・
”現世” で 生きている ”今のうち” に 考えておきたいですね。![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
皆様も ご自身の “幸福観” について・・・
ここで 改めて じっくりと お考えになってみては いかがでしょうか?![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
(※) スッタニパータ ”こよなき幸せ” の 最初の記事である・・・
”私たち (在家者) が 救われる方法” の記事は こちらからどうぞ![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
また “出家者” と ”世俗に生きる者” の ”相違点” を 考えました・・・
“出家とは 高速道路を 走ること” の記事は こちらからどうぞ![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
![わんわん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/003.gif)
私たち 人間にとっての “幸福” というものは・・・
人 それぞれによって・・・
さまざまな形で ”異なっている” と 考えられます。
![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
![てんびん座](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/218.gif)
しかし 人間にとっての ”最上の幸福” とは 何か? を 考える時・・・
そこでは 人類 すべてに ”共通するもの” を 考える必要が あるようです。
そして それを 理解するために 重要なのが・・・
”原始仏教” を 人類に示していた ”ブッダの教え” であると 考えられます。
![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
これまで このブログでは 数回にわたって・・・
原始仏典 スッタニパータ 第二章 第四節 ”こよなき幸せ” を 考えて参りました。
それでは ここで もう一度 その内容を おさらいします。
![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
258 (神は ブッダに 尋ねた)
多くの神々と 人間とは 幸福を望み 幸せを思っている。
(ブッダよ) 最上の幸福を 説いて下さい。
259 (ブッダは 答えた)
諸々の ”愚者” に 親しまないで・・・
諸々の ”賢者” に 親しみ・・・
”尊敬すべき人” を 尊敬しなさい。
ーこれが こよなき 幸せである。ー(以下この部分は省略)
260 ”適当な場所” に 住み・・・
あらかじめ ”功徳” を 積んでおり・・・
正しい ”誓願” を 起こしていること。
261 ”深い学識” が あり・・・
”技術” を 身につけていること。
”身を慎む” ことを よく学び・・・
”言葉” が みごとであること。
262 ”父母” に つかえる(奉仕する)こと。
”妻子” を 愛して 守ること。
“仕事” に 秩序を保ち 混乱させないこと。
263 ”施与(さまざまなものを 誰かに与えること)” を すること。
”理法(この世の真理)” に かなった 行いをすること。
”親族” を 愛して 守ること。
”非難” を 受けない 行為をすること。
264 ”悪” を やめて ”悪” を 離れること。
”飲酒” を 慎むこと。
”徳行(よい行い)” を ゆるがせにしないこと。
265 ”尊敬” と ”謙遜” を すること。
”満足” と ”感謝” を すること。
適当な時に ”教え(真理の教え)” を 聞くこと。
266 ”耐え忍ぶ” こと。
”言葉” が やさしいこと。
諸々の ”道の人(修行者)” に 逢うこと。
適当な時に ”理法についての教え” を 聞くこと。
267 ”修養” すること。
”清らかな行い” を すること。
”聖なる真理” を 見る(知る)こと。
”安らぎ(ニルヴァーナ)” を ”体得” すること。
268 ”世俗のことがら” に 触れても・・・
心が ”動揺しない” で・・・
”憂い” が なく・・・
”汚れ” を 離れており・・・
”安穏(安全)” で あること。
269 これらのことを 行うならば・・・
いかなることに 関しても ”敗れる” ことがない。
あらゆることについて ”幸福” に 達する。
ーこれが こよなき 幸せである。ー
そして 原典の翻訳者であった 中村元氏は・・・
第四節の 最後の注釈において 以下のように 結んでいました。
No.269 ー幸福ー
ここに述べられている 幸福論は 必ずしも 体系的とは言えない。
原文は 詩句のため 韻律の関係もあり・・・
論理的に 筋道立てて 述べられているわけではない。
ただ 幸福に喜び 満ち溢れている心境が 次から次へと ほとばしっている。
その ”喜び” の 気持ち・・・
それは 現在の 私たちのものでもある と 言える。
![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
ここで 中村氏は 人間にとっての ”喜び” というものは・・・
ブッダが 生きていた ”2500年前” と・・・
現代に生きている 私たちが 感じるものと・・・
それらは ”同じである” ということを 示しています。
しかし ”2500年前の社会” と 現代の ”日本社会” に おいては・・・
全くと 言っていいほど ”価値観” が ”異なっている” わけです。
![てんびん座](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/218.gif)
では なぜ 中村氏は ”同じ喜び” であると 示していたのか?・・・
それは そこに 人類に ”共通” している・・・
この世界での ”真理” が 存在しているからです。
それゆえに 私たちも その内容に “共感” できるのです。
![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
しかし そのことを 別の角度から 考えると・・・
“真理” を ”知らない” 人間や・・・
“真理” を “知ろうともしない” 人間というのは・・・
ブッダが ここで示している内容を “共感できない” ことも 意味しているのです。
私たちが ”原始仏典 スッタニパータ” を 読む際には・・・
このことも 十分に 認識しておく 必要があります。
![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
それでは 第四節の No.259~No.268の詩経に・・・
“一貫” しているものは 何か? を 考えると・・・
![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
そこには 人間としての “理想の生き方” が 示されているのであり・・・
そこには “充実した人生” を 実現している・・・
“理想の人間像” を 見ることができる と 考えられます。
つまり 私たちは それに ”共感” して・・・
”同じ人間” として ”喜ぶ” ことが できるようですね。
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
では 私たちは この人生において・・・
なぜ “充実” や ”喜び” を 感じる 必要があるのか?・・・
それは 原始仏典 スッタニパータの 別の個所にも 書かれているのですが・・・
![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
この人生で “充実” や ”喜び” を 感じるのではなく・・・
その反対に ”むなしさ” を 感じている 人間というものは・・・
“地獄に堕ちる” というようなことが 示されているのです。
それゆえに 私たちは この人生において・・・
“充実” や ”喜び” を 感じる 必要があるとも 考えられます。
今後の このブログでは この内容についても 考えて参ります。
![メモ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/131.gif)
つまり ブッダが 説いていた “幸福論” というものは・・・
”現世” だけに限らず・・・
”来世” も 視野に入れている “幸福論” であったことが 理解されるのです。
そして その “幸福” というのは 前回の記事でも 深く考えましたが・・・
ブッダが “人生の目標” として 目指していた・・・
”涅槃寂静(ニルヴァーナ)” である ”平穏の状態” であると 考えられます。
![虹](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)
また No.269の詩経には・・・
これらのことを 行うならば・・・
いかなることに 関しても ”敗れる” ことがない・・・と 書かれていました。
では “敗れる” とは どういう意味か? といえば・・・
それは ”平穏” とは ”正反対の状態” である・・・
人間として ”苦しむ状態” であると 考えられます。
![しょぼん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/144.gif)
つまり 第四節での ”こよなき幸せ” に 書かれている・・・
数多くの 内容というのは・・・
私たちのような ”世俗に生きる者” に対する・・・
”苦しまない生き方” が 列挙されている ということも 理解できるのです。
![メモ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/131.gif)
それゆえに 私たち 人間 すべてにとって・・・
”共通する幸福” というものは・・・
”苦しみのない人生” を 実現することである と 理解できます。
![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
そして それが 実現できると・・・
私たちは この人生で ”死” を 迎えても・・・
”来世以降” でも ”苦しまない状態” が 実現されることになり・・・
“永遠の幸福” へと 導かれることが 期待されるのです。
これこそが 原始仏教における ”ブッダの教え” の・・・
その “最終的な目標” であったことが わかって来るのです。
![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
皆様も ”ブッダの教え” が 集約されている・・・
”原始仏典 スッタニパータ” を お読みになり・・・
ご自身の ”これまでの生き方” から・・・
人間としての “理想の生き方” に 近づけてみては いかがでしょうか?
それが 私たちのような ”世俗に生きる者” が・・・
この世界から ”救われる” ための “最後の方法” であると 考えられます。
![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
そして 私たちのような ”世俗に生きる者” というのは・・・
“出家者” に 比べれば ”救われ難い” とも 考えられています。(※)
それは ”世俗の生活” では・・・
”人間社会” での “さまざまな障害” が 多いのであり・・・
そこでは “真理” を 知ることが 困難であると 考えられるからです。
![ショック!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/143.gif)
さらに 私たちに 残されている ”現世での時間” は・・・
残念ながら ”限られて” います。
![時計](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/286.gif)
それゆえに 私たちが この人生で ”真理” を 知るためには・・・
”余計な時間” を ”費やさない” ためにも・・・
世俗社会での ”人間関係” を 限りなく ”円滑にする” ことによって・・・
”さまざまな障害” を ”取り除いておく” ことも 重要なのです。
そして その方法を 具体的に 示されていたのが・・・
第二章 第四節の ”こよなき幸せ” に 示されていたと 考えられます。
![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
原始仏典で 示されていた ”こよなき幸せ” というのは・・・
”このうえない幸せ” つまり ”最上の幸福” という意味です。
私たちは 自分自身にとっての “最上の幸福” について・・・
”死後の来世” を 迎えてしまう前に・・・
”現世” で 生きている ”今のうち” に 考えておきたいですね。
![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
皆様も ご自身の “幸福観” について・・・
ここで 改めて じっくりと お考えになってみては いかがでしょうか?
![ドキドキ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/031.gif)
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
(※) スッタニパータ ”こよなき幸せ” の 最初の記事である・・・
”私たち (在家者) が 救われる方法” の記事は こちらからどうぞ
![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
また “出家者” と ”世俗に生きる者” の ”相違点” を 考えました・・・
“出家とは 高速道路を 走ること” の記事は こちらからどうぞ
![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)