こんにちはわんわん





私たち 人間にとっての “幸福” というものは・・・

人 それぞれによって・・・

さまざまな形で ”異なっている” と 考えられます。ドキドキてんびん座





しかし 人間にとっての ”最上の幸福” とは 何か? を 考える時・・・

そこでは 人類 すべてに ”共通するもの” を 考える必要が あるようです。

そして それを 理解するために 重要なのが・・・

”原始仏教” を 人類に示していた ”ブッダの教え” であると 考えられます。星





これまで このブログでは 数回にわたって・・・

原始仏典 スッタニパータ 第二章 第四節 ”こよなき幸せ” を 考えて参りました。

それでは ここで もう一度 その内容を おさらいします。本





258 (神は ブッダに 尋ねた)

     多くの神々と 人間とは 幸福を望み 幸せを思っている。

    (ブッダよ) 最上の幸福を 説いて下さい。

    
259 (ブッダは 答えた)

    諸々の ”愚者” に 親しまないで・・・

    諸々の ”賢者” に 親しみ・・・

    ”尊敬すべき人” を 尊敬しなさい。

    ーこれが こよなき 幸せである。ー(以下この部分は省略)


260 ”適当な場所” に 住み・・・

    あらかじめ ”功徳” を 積んでおり・・・

    正しい ”誓願” を 起こしていること。



261 ”深い学識” が あり・・・

    ”技術” を 身につけていること。 

    ”身を慎む” ことを よく学び・・・

    ”言葉” が みごとであること。



262 ”父母” に つかえる(奉仕する)こと。 

    ”妻子” を 愛して 守ること。

    “仕事” に 秩序を保ち 混乱させないこと。



263 ”施与(さまざまなものを 誰かに与えること)” を すること。 

    ”理法(この世の真理)” に かなった 行いをすること。

    ”親族” を 愛して 守ること。

    ”非難” を 受けない 行為をすること。



264 ”悪” を やめて ”悪” を 離れること。 

    ”飲酒” を 慎むこと。

    ”徳行(よい行い)” を ゆるがせにしないこと。



265 ”尊敬” と ”謙遜” を すること。    

    ”満足” と ”感謝” を すること。

    適当な時に ”教え(真理の教え)” を 聞くこと。



266 ”耐え忍ぶ” こと。

    ”言葉” が やさしいこと。

    諸々の ”道の人(修行者)” に 逢うこと。

    適当な時に ”理法についての教え” を 聞くこと。



267 ”修養” すること。
     
    ”清らかな行い” を すること。

    ”聖なる真理” を 見る(知る)こと。

    ”安らぎ(ニルヴァーナ)” を ”体得” すること。



268 ”世俗のことがら” に 触れても・・・

    心が ”動揺しない” で・・・

    ”憂い” が なく・・・

    ”汚れ” を 離れており・・・

    ”安穏(安全)” で あること。



269 これらのことを 行うならば・・・

    いかなることに 関しても ”敗れる” ことがない。
    
    あらゆることについて ”幸福” に 達する。

    ーこれが こよなき 幸せである。ー






そして 原典の翻訳者であった 中村元氏は・・・

第四節の 最後の注釈において 以下のように 結んでいました。



No.269 ー幸福ー

  
ここに述べられている 幸福論は 必ずしも 体系的とは言えない。

原文は 詩句のため 韻律の関係もあり・・・

論理的に 筋道立てて 述べられているわけではない。

ただ 幸福に喜び 満ち溢れている心境が 次から次へと ほとばしっている。

その ”喜び” の 気持ち・・・

それは 現在の 私たちのものでもある と 言える。本






ここで 中村氏は 人間にとっての ”喜び” というものは・・・

ブッダが 生きていた ”2500年前” と・・・

現代に生きている 私たちが 感じるものと・・・

それらは ”同じである” ということを 示しています。

しかし ”2500年前の社会” と 現代の ”日本社会” に おいては・・・

全くと 言っていいほど ”価値観” が ”異なっている” わけです。てんびん座


 

では なぜ 中村氏は ”同じ喜び” であると 示していたのか?・・・

それは そこに 人類に ”共通” している・・・

この世界での ”真理” が 存在しているからです。

それゆえに 私たちも その内容に “共感” できるのです。ドキドキ





しかし そのことを 別の角度から 考えると・・・

“真理” を ”知らない” 人間や・・・

“真理” を “知ろうともしない” 人間というのは・・・

ブッダが ここで示している内容を “共感できない” ことも 意味しているのです。

私たちが ”原始仏典 スッタニパータ” を 読む際には・・・

このことも 十分に 認識しておく 必要があります。目

  



それでは 第四節の No.259~No.268の詩経に・・・

“一貫” しているものは 何か? を 考えると・・・ひらめき電球





そこには 人間としての “理想の生き方” が 示されているのであり・・・

そこには “充実した人生” を 実現している・・・

“理想の人間像” を 見ることができる と 考えられます。

つまり 私たちは それに ”共感” して・・・

”同じ人間” として ”喜ぶ” ことが できるようですね。ニコニコ





では 私たちは この人生において・・・

なぜ “充実” や ”喜び” を 感じる 必要があるのか?・・・

それは 原始仏典 スッタニパータの 別の個所にも 書かれているのですが・・・本





この人生で “充実” や ”喜び” を 感じるのではなく・・・

その反対に ”むなしさ” を 感じている 人間というものは・・・

“地獄に堕ちる” というようなことが 示されているのです。

それゆえに 私たちは この人生において・・・

“充実” や  ”喜び” を 感じる 必要があるとも 考えられます。

今後の このブログでは この内容についても 考えて参ります。メモ





つまり ブッダが 説いていた “幸福論” というものは・・・

”現世” だけに限らず・・・

”来世” も 視野に入れている “幸福論” であったことが 理解されるのです。

そして その “幸福” というのは 前回の記事でも 深く考えましたが・・・

ブッダが “人生の目標” として 目指していた・・・

”涅槃寂静(ニルヴァーナ)” である ”平穏の状態” であると 考えられます。虹





また No.269の詩経には・・・

    これらのことを 行うならば・・・

    いかなることに 関しても ”敗れる” ことがない・・・と 書かれていました。




では “敗れる” とは どういう意味か? といえば・・・

それは ”平穏” とは ”正反対の状態” である・・・

人間として ”苦しむ状態” であると 考えられます。しょぼん





つまり 第四節での ”こよなき幸せ” に 書かれている・・・

数多くの 内容というのは・・・

私たちのような ”世俗に生きる者” に対する・・・

”苦しまない生き方” が 列挙されている ということも 理解できるのです。メモ





それゆえに 私たち 人間 すべてにとって・・・

”共通する幸福” というものは・・・

”苦しみのない人生” を 実現することである と 理解できます。ドキドキ





そして それが 実現できると・・・

私たちは この人生で ”死” を 迎えても・・・

”来世以降” でも ”苦しまない状態” が 実現されることになり・・・

“永遠の幸福” へと 導かれることが 期待されるのです。

これこそが 原始仏教における ”ブッダの教え” の・・・

その “最終的な目標” であったことが わかって来るのです。目







皆様も ”ブッダの教え” が 集約されている・・・

”原始仏典 スッタニパータ” を お読みになり・・・

ご自身の ”これまでの生き方” から・・・

人間としての “理想の生き方” に 近づけてみては いかがでしょうか?

それが 私たちのような ”世俗に生きる者” が・・・

この世界から ”救われる” ための “最後の方法” であると 考えられます。ひらめき電球

 




そして 私たちのような ”世俗に生きる者” というのは・・・

“出家者” に 比べれば ”救われ難い” とも 考えられています。(※)

それは ”世俗の生活” では・・・

”人間社会” での “さまざまな障害” が 多いのであり・・・

そこでは “真理” を 知ることが 困難であると 考えられるからです。ショック!





さらに 私たちに 残されている ”現世での時間” は・・・

残念ながら ”限られて” います。時計

それゆえに 私たちが この人生で ”真理” を 知るためには・・・

”余計な時間” を ”費やさない” ためにも・・・

世俗社会での ”人間関係” を 限りなく ”円滑にする” ことによって・・・

”さまざまな障害” を ”取り除いておく” ことも 重要なのです。

そして その方法を 具体的に 示されていたのが・・・

第二章 第四節の ”こよなき幸せ” に 示されていたと 考えられます。目 








原始仏典で 示されていた ”こよなき幸せ” というのは・・・

”このうえない幸せ” つまり ”最上の幸福” という意味です。

私たちは 自分自身にとっての “最上の幸福” について・・・

”死後の来世” を 迎えてしまう前に・・・

”現世” で 生きている ”今のうち” に 考えておきたいですね。ひらめき電球









皆様も ご自身の “幸福観” について・・・

ここで 改めて じっくりと お考えになってみては いかがでしょうか?ドキドキニコニコ














(※) スッタニパータ ”こよなき幸せ” の 最初の記事である・・・

   ”私たち (在家者) が 救われる方法”  の記事は こちらからどうぞ星



   

   また “出家者” と ”世俗に生きる者” の ”相違点” を 考えました・・・

   “出家とは 高速道路を 走ること”  の記事は こちらからどうぞ星