こんにちは![わんわん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/003.gif)
私たちは 日常生活の中で・・・
”すべてのこと” に 対して・・・
限りなく ”満足する” ことを 目指しているようです。
しかし 人間とは “満足する” ことが・・・
”ずっと続く” ことは ないようですね。![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
それは 私たちが あることに “満足する” と・・・
”同じこと” では “満足できない” ことに なるからです。
それは どうして そうなるのか? といえば・・・
私たちの ”欲望” というものが・・・
次第に “拡大する” からです。![ラブラブ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
![アップ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/173.gif)
それゆえに 私たちは この人生において・・・
ほとんど “不満足の状態” に 陥っていることが 多く・・・
それで いつも ”イライラ” することが 多いわけであり・・・
その結果 “心の不安定” を 招くことになり・・・
”平穏の状態” からは ”遠ざかっている” ようです。![ハートブレイク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/032.gif)
それが 何を 意味するのか? といえば・・・
ブッダが目指していた ”ニルヴァーナ(涅槃寂静)” には・・・
私たちは 決して ”到達できない” のであり・・・
それにより 私たちは 今後も ずっと・・・
”人間” として ”苦しみ続ける” ことを 意味します。![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
その結果 私たちが この人生で ”死” を 迎えても・・・
”死後の来世” では ふたたび ”人間に生まれ変わる” ことになり・・・
そこでも ”人間” として ”苦しみ続ける” ことに なるわけです。![しょぼん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/144.gif)
ブッダの教えが 集約されている ”原始仏典 スッタニパータ” では・・・
”こよなき幸せ” の 内容において “満足” という言葉が 登場しています。
そして 翻訳者であった 中村元氏の 註釈においても・・・
それについて 重要な内容が 示されていました。
では まず ”原典の内容” を ここで 振り返ります。![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
No.265 ”尊敬” と ”謙遜” を すること。
”満足” と ”感謝” を すること。
適当な時に ”教え(真理の教え)” を 聞くこと。
これが ”こよなき幸せ” である。
そして 中村氏の 註釈の内容を ご紹介しますと・・・
No.265 満足
”満足” と 前に述べた ”誓願” を 立てることは 表裏の関係にある。
(密接に 関連している・・・という意味です)
人は 大きな ”こころざし(人生の目標)” を 立てると・・・
くだらぬことで ”不満” を 訴えることは なくなってしまう。
・・・ということが 述べられていました。![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
”誓願” では 私も 書きましたが・・・
”正しい誓願” つまり ”正しい目標” を 立てることが できると・・・
私たちは ”自分の内面” を 重視することが 始まります。
それによって ”周囲の出来事” も・・・
すべて ”自分の責任” であることが 理解され・・・
その結果 ”いかなる困難” が 自分自身に 直面しても・・・
それを ”困難” であるとも 思えなくなるのです。(※)![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
つまり 自分に直面する ”すべてのこと” は・・・
自分自身の “人生の目標” に 到達するためには・・・
”自分で解決する” ことが ”必須である” と 考えるからです。
そこでは 自分に直面する ”すべてのこと” は・・・
”受動的” に ”客体的” に 考えるのではなく・・・
”能動的” に ”主体的” に 考えるように なるのです。
このような 考え方が 人間にとっての・・・
“幸福への道” であるとも 考えられます。![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
また No.265の詩経の内容を ”反対側” から 考えた場合・・・
そこに書かれている ”尊敬” ”謙遜” ”満足” ”感謝” の・・・
それぞれの ”対義語” を 考えますと・・・![メモ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/131.gif)
そこには・・・
”軽蔑” ”不遜・傲慢” ”不満” ”怨嗟・恨み” というような言葉が 現れてきます。
つまり これらを 私たちが 日常生活の中で 持つことが・・・
“不幸の証拠”・・・ということも 理解されてくるのです。![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
その中でも ”傲慢(ごうまん)” という 言葉については・・・
ブッダだけでなく キリスト教での “聖母マリア” も・・・
あの “ファティマの予言” において ”警告” を 発していました。
それは 私たちが ”傲慢な生き方” を 続けていれば・・・
”来世” において “地獄へ落ちる” という 内容でした。(※)
そして それこそが ”人間” としての・・・
”最大の不幸” であるとも 考えられるわけです。![ドクロ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
私たちにとっての “満足” とは いったい 何なのか?・・・
それは おそらく 自分自身が・・・
”自分の目標” を 実現するために 生きる上での・・・
“最低限の条件” が “満足されている” ことで 感じるべきかもしれません。![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
私自身 2012年から ”ブッダの教え” に 従って 生活をしておりますが・・・
私自身の ”人生の目標” というのが・・・
”人間” からの ”卒業” というものに なりました。
それゆえに 私自身の ”私生活の意味” というものも・・・
ブッダの教えを 実践するための “修業生活” というものに なったわけです。![走る人](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/044.gif)
つまり 私自身の 日常での “満足” というものは・・・
毎日が ”あたりまえ” のように ”平穏” で あることで・・・
“修業生活” が ”何も障害がなく” 実践できること だけでも・・・
それだけで “満足” や ”感謝(知恩)” を するように なりました。
これが 私自身における・・・
”足るを知る” という 境地であるとも 考えています。(※)![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
私たちは 自分自身の ”欲望の拡大” によって・・・![ラブラブ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
![アップ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/173.gif)
毎日の生活の中で ”不満” が 続くことが 多いわけですが・・・![プンプン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/140.gif)
![DASH!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
私たちが 日常での ”あたりまえ” の ようなことに 対しても・・・
”満足” を 感じることが 大切であると 思われます。
そして “満足” を・・・
”いつも 感じている” 人間こそが・・・
“本当の幸福な人間” である・・・ということにも なるようですね。
そして それが ”本当に救われる人間” であるとも 考えられます。![虹](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)
それゆえに 人間の “満足” や ”幸福” というものは・・・
自分自身の “外部の環境” に よるものではなく・・・
すべて ”自分の内面” によって 決定されている・・・と 考えられます。![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
皆様も この人生において・・・
”満足できない” と お考えになることが 多ければ・・・
それは “人生の目標” の 設定に・・・
”大きな誤り” が あることが 考えられます。![ショック!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/143.gif)
私たちは どうせ この世界で 生きるのならば・・・
“本当の幸福な人生” を 実現したいですね。![虹](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)
そして そのためには 私たちは・・・
ます ”正しい誓願” つまり ”正しい目標” を 設定することが 必要です。
そのことが ”原始仏典 スッタニパータ” での・・・
”こよなき幸せ” に 明確に 示されていると 考えられます。![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
私たちは 今後の 人生において・・・
いつも “満足” を 感じることが できるような・・・
“本当の幸福” を 実現して 参りたいですね。![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
(※) 以前 ご紹介した ”誓願” についての 内容である・・・
“ブッダの教え 誓願とは?” の記事は こちらです![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
また ”聖母マリアの予言” について 考えました・・・
“傲慢(ごうまん) が 意味するもの” の記事は こちらからどうぞ![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
さらに ”足るを知る” について 考えました・・・
”足るを知る の 意味” の記事は こちらです![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
![わんわん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/003.gif)
私たちは 日常生活の中で・・・
”すべてのこと” に 対して・・・
限りなく ”満足する” ことを 目指しているようです。
しかし 人間とは “満足する” ことが・・・
”ずっと続く” ことは ないようですね。
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
それは 私たちが あることに “満足する” と・・・
”同じこと” では “満足できない” ことに なるからです。
それは どうして そうなるのか? といえば・・・
私たちの ”欲望” というものが・・・
次第に “拡大する” からです。
![ラブラブ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
![アップ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/173.gif)
それゆえに 私たちは この人生において・・・
ほとんど “不満足の状態” に 陥っていることが 多く・・・
それで いつも ”イライラ” することが 多いわけであり・・・
その結果 “心の不安定” を 招くことになり・・・
”平穏の状態” からは ”遠ざかっている” ようです。
![ハートブレイク](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/032.gif)
それが 何を 意味するのか? といえば・・・
ブッダが目指していた ”ニルヴァーナ(涅槃寂静)” には・・・
私たちは 決して ”到達できない” のであり・・・
それにより 私たちは 今後も ずっと・・・
”人間” として ”苦しみ続ける” ことを 意味します。
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
その結果 私たちが この人生で ”死” を 迎えても・・・
”死後の来世” では ふたたび ”人間に生まれ変わる” ことになり・・・
そこでも ”人間” として ”苦しみ続ける” ことに なるわけです。
![しょぼん](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/144.gif)
ブッダの教えが 集約されている ”原始仏典 スッタニパータ” では・・・
”こよなき幸せ” の 内容において “満足” という言葉が 登場しています。
そして 翻訳者であった 中村元氏の 註釈においても・・・
それについて 重要な内容が 示されていました。
では まず ”原典の内容” を ここで 振り返ります。
![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
No.265 ”尊敬” と ”謙遜” を すること。
”満足” と ”感謝” を すること。
適当な時に ”教え(真理の教え)” を 聞くこと。
これが ”こよなき幸せ” である。
そして 中村氏の 註釈の内容を ご紹介しますと・・・
No.265 満足
”満足” と 前に述べた ”誓願” を 立てることは 表裏の関係にある。
(密接に 関連している・・・という意味です)
人は 大きな ”こころざし(人生の目標)” を 立てると・・・
くだらぬことで ”不満” を 訴えることは なくなってしまう。
・・・ということが 述べられていました。
![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
”誓願” では 私も 書きましたが・・・
”正しい誓願” つまり ”正しい目標” を 立てることが できると・・・
私たちは ”自分の内面” を 重視することが 始まります。
それによって ”周囲の出来事” も・・・
すべて ”自分の責任” であることが 理解され・・・
その結果 ”いかなる困難” が 自分自身に 直面しても・・・
それを ”困難” であるとも 思えなくなるのです。(※)
![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
つまり 自分に直面する ”すべてのこと” は・・・
自分自身の “人生の目標” に 到達するためには・・・
”自分で解決する” ことが ”必須である” と 考えるからです。
そこでは 自分に直面する ”すべてのこと” は・・・
”受動的” に ”客体的” に 考えるのではなく・・・
”能動的” に ”主体的” に 考えるように なるのです。
このような 考え方が 人間にとっての・・・
“幸福への道” であるとも 考えられます。
![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
また No.265の詩経の内容を ”反対側” から 考えた場合・・・
そこに書かれている ”尊敬” ”謙遜” ”満足” ”感謝” の・・・
それぞれの ”対義語” を 考えますと・・・
![メモ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/131.gif)
そこには・・・
”軽蔑” ”不遜・傲慢” ”不満” ”怨嗟・恨み” というような言葉が 現れてきます。
つまり これらを 私たちが 日常生活の中で 持つことが・・・
“不幸の証拠”・・・ということも 理解されてくるのです。
![ガーン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/141.gif)
![ひらめき電球](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/089.gif)
その中でも ”傲慢(ごうまん)” という 言葉については・・・
ブッダだけでなく キリスト教での “聖母マリア” も・・・
あの “ファティマの予言” において ”警告” を 発していました。
それは 私たちが ”傲慢な生き方” を 続けていれば・・・
”来世” において “地獄へ落ちる” という 内容でした。(※)
そして それこそが ”人間” としての・・・
”最大の不幸” であるとも 考えられるわけです。
![ドクロ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/152.gif)
私たちにとっての “満足” とは いったい 何なのか?・・・
それは おそらく 自分自身が・・・
”自分の目標” を 実現するために 生きる上での・・・
“最低限の条件” が “満足されている” ことで 感じるべきかもしれません。
![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
私自身 2012年から ”ブッダの教え” に 従って 生活をしておりますが・・・
私自身の ”人生の目標” というのが・・・
”人間” からの ”卒業” というものに なりました。
それゆえに 私自身の ”私生活の意味” というものも・・・
ブッダの教えを 実践するための “修業生活” というものに なったわけです。
![走る人](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/044.gif)
つまり 私自身の 日常での “満足” というものは・・・
毎日が ”あたりまえ” のように ”平穏” で あることで・・・
“修業生活” が ”何も障害がなく” 実践できること だけでも・・・
それだけで “満足” や ”感謝(知恩)” を するように なりました。
これが 私自身における・・・
”足るを知る” という 境地であるとも 考えています。(※)
![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
私たちは 自分自身の ”欲望の拡大” によって・・・
![ラブラブ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/035.gif)
![アップ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/173.gif)
毎日の生活の中で ”不満” が 続くことが 多いわけですが・・・
![プンプン](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/140.gif)
![DASH!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/178.gif)
私たちが 日常での ”あたりまえ” の ようなことに 対しても・・・
”満足” を 感じることが 大切であると 思われます。
そして “満足” を・・・
”いつも 感じている” 人間こそが・・・
“本当の幸福な人間” である・・・ということにも なるようですね。
そして それが ”本当に救われる人間” であるとも 考えられます。
![虹](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)
それゆえに 人間の “満足” や ”幸福” というものは・・・
自分自身の “外部の環境” に よるものではなく・・・
すべて ”自分の内面” によって 決定されている・・・と 考えられます。
![目](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif)
皆様も この人生において・・・
”満足できない” と お考えになることが 多ければ・・・
それは “人生の目標” の 設定に・・・
”大きな誤り” が あることが 考えられます。
![ショック!](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/143.gif)
私たちは どうせ この世界で 生きるのならば・・・
“本当の幸福な人生” を 実現したいですね。
![虹](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/026.gif)
そして そのためには 私たちは・・・
ます ”正しい誓願” つまり ”正しい目標” を 設定することが 必要です。
そのことが ”原始仏典 スッタニパータ” での・・・
”こよなき幸せ” に 明確に 示されていると 考えられます。
![本](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif)
私たちは 今後の 人生において・・・
いつも “満足” を 感じることが できるような・・・
“本当の幸福” を 実現して 参りたいですね。
![ニコニコ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/139.gif)
(※) 以前 ご紹介した ”誓願” についての 内容である・・・
“ブッダの教え 誓願とは?” の記事は こちらです
![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
また ”聖母マリアの予言” について 考えました・・・
“傲慢(ごうまん) が 意味するもの” の記事は こちらからどうぞ
![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)
さらに ”足るを知る” について 考えました・・・
”足るを知る の 意味” の記事は こちらです
![星](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/112.gif)