こんにちは
古代ギリシャ国家は その後 分立と抗争を 繰り返しました。
盟主の ”アテネ” が ”デロス同盟” から 抜けようとする ポリスがあると
そのポリスを 他のポリスへの “見せしめ” として
”滅ぼして” しまったのです。
アテネが ”権力を集中” しようとすれば
周辺のポリス諸国は “上納金” の 負担に苦しみ
やがて ”脱退” を図ろうとし そこで 争いが 起こる・・・
そんなことを 繰り返すうちに 古代ギリシャ国家は 弱体化して行き
やがて 他国の “侵略” を受ける 宿命となったのです。
そして 紀元前4世紀になり 隣国の ”マケドニア” の
”アレクサンドロス大王” の 侵攻を受けて
とうとう 古代ギリシャは ”滅亡” することになります。
それまで ギリシャ国民は ”聖なる国家(ポリス)” に 従い
国家が 自分自身であるような 感覚に 陥っていましたが
国家が 滅亡することで 国民は ”広大な世界” へと
”放り出されて” しまうことに なったのです。
アレクサンドロス大王は その後 西北インド地方にまで 勢力を拡大し
東洋(オリエント)も ”支配下” に 収めました。
そして 大王の少年期には
なんと あの ”アリストテレス” が ”家庭教師” であったとされ
その教育の影響を 受けたからか 征服地の文化などには ”深い敬意” を 抱いており
さらに その文化を 学びとるために
遠征隊の内部に ”学術チーム” を 編成していたと 言われています。
そして 東洋と ヨーロッパの 文化の ”融合” が やがて 実現されて
それは ”ヘレニズム文化” と 呼ばれるようになりました。
ヘレニズム文化によって 大きく 2つの学派の思想が 登場しました。
それが ”エピクロス派” と ”ストア派” でした。
まず ”エピクロス派” の 思想は
”人間の 善とは 快楽である”・・・としました。
しかし ”快楽” とは
”静なる快楽” であり “魂が乱れない” ものであるとしました。
つまり “魂の平安(アタラキシア)” が 最高とされ
”パンと水” だけのような ”質素な生活” の中で 到達されるという
賢者の ”理想の境地” であると されたのです。
そして ”ストア派” の思想は
人間の ”自然” とされる ”理性” に従って 生きることで
人間の ”感情” や ”本能” に 煩わされない
”無感動(アパテイア)” の境地が ”最高の善” であるとしました。
この世の ”富” ”名誉” ”生死” への 関心を 断ちきる
”厳粛な態度” が 必要であるとして ”禁欲主義” を 唱えたのです。
現在の ”ストイック” という言葉は この ”ストア派” が 語源です。
さらに ストア派は
”人間の理性” とは 万人の内部に 必ず 存在しており
それは 一つの ”世界理性” につながると 説きました。
これは 人類すべてに ”共通” する ものであり
いわゆる “真理” と 同じ意味のようです。
そして すべての人間を “同胞” として ”同じ国民” と 認識するという
”世界市民(コスモポリテース) ” の思想が 生まれました。
この思想は その後 “中世のヨーロッパ” での
”自然法思想” の 源流となりました。
この ヘレニズムでの思想は ”誰かの思想” と 大変に 似ていますね。
私のブログを 最近 よくお読みになって いらっしゃる方は
もう お分かりだと 思います。
長くなりますので・・・・・
その答えは 次回に 発表いたしますね。(笑)
古代ギリシャ国家は その後 分立と抗争を 繰り返しました。
盟主の ”アテネ” が ”デロス同盟” から 抜けようとする ポリスがあると
そのポリスを 他のポリスへの “見せしめ” として
”滅ぼして” しまったのです。
アテネが ”権力を集中” しようとすれば
周辺のポリス諸国は “上納金” の 負担に苦しみ
やがて ”脱退” を図ろうとし そこで 争いが 起こる・・・
そんなことを 繰り返すうちに 古代ギリシャ国家は 弱体化して行き
やがて 他国の “侵略” を受ける 宿命となったのです。
そして 紀元前4世紀になり 隣国の ”マケドニア” の
”アレクサンドロス大王” の 侵攻を受けて
とうとう 古代ギリシャは ”滅亡” することになります。
それまで ギリシャ国民は ”聖なる国家(ポリス)” に 従い
国家が 自分自身であるような 感覚に 陥っていましたが
国家が 滅亡することで 国民は ”広大な世界” へと
”放り出されて” しまうことに なったのです。
アレクサンドロス大王は その後 西北インド地方にまで 勢力を拡大し
東洋(オリエント)も ”支配下” に 収めました。
そして 大王の少年期には
なんと あの ”アリストテレス” が ”家庭教師” であったとされ
その教育の影響を 受けたからか 征服地の文化などには ”深い敬意” を 抱いており
さらに その文化を 学びとるために
遠征隊の内部に ”学術チーム” を 編成していたと 言われています。
そして 東洋と ヨーロッパの 文化の ”融合” が やがて 実現されて
それは ”ヘレニズム文化” と 呼ばれるようになりました。
ヘレニズム文化によって 大きく 2つの学派の思想が 登場しました。
それが ”エピクロス派” と ”ストア派” でした。
まず ”エピクロス派” の 思想は
”人間の 善とは 快楽である”・・・としました。
しかし ”快楽” とは
”静なる快楽” であり “魂が乱れない” ものであるとしました。
つまり “魂の平安(アタラキシア)” が 最高とされ
”パンと水” だけのような ”質素な生活” の中で 到達されるという
賢者の ”理想の境地” であると されたのです。
そして ”ストア派” の思想は
人間の ”自然” とされる ”理性” に従って 生きることで
人間の ”感情” や ”本能” に 煩わされない
”無感動(アパテイア)” の境地が ”最高の善” であるとしました。
この世の ”富” ”名誉” ”生死” への 関心を 断ちきる
”厳粛な態度” が 必要であるとして ”禁欲主義” を 唱えたのです。
現在の ”ストイック” という言葉は この ”ストア派” が 語源です。
さらに ストア派は
”人間の理性” とは 万人の内部に 必ず 存在しており
それは 一つの ”世界理性” につながると 説きました。
これは 人類すべてに ”共通” する ものであり
いわゆる “真理” と 同じ意味のようです。
そして すべての人間を “同胞” として ”同じ国民” と 認識するという
”世界市民(コスモポリテース) ” の思想が 生まれました。
この思想は その後 “中世のヨーロッパ” での
”自然法思想” の 源流となりました。
この ヘレニズムでの思想は ”誰かの思想” と 大変に 似ていますね。
私のブログを 最近 よくお読みになって いらっしゃる方は
もう お分かりだと 思います。
長くなりますので・・・・・
その答えは 次回に 発表いたしますね。(笑)