画鬼河鍋暁斎✕鬼才松浦武四郎 静嘉堂@丸の内 | やまちゃん1のブログ

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画鬼河鍋暁斎はよく分かる、自らを“画鬼”と称したから
鬼才松浦武四郎のどこが鬼才なのかは知らなかった

なぜ「画鬼河鍋暁斎✕鬼才松浦武四郎」かは、展覧会を見たあとでもよくわからなかった…


本題の前に、静嘉堂@丸の内のある明治生命館について





明治生命館と明治安田生命本社ビル
(ネット画像借用)

『明治生命館は、1934年(昭和9年)3月、3年7ヵ月の歳月をかけて竣工しました。設計は当時の建築学会の重鎮であった東京美術学校(現、東京芸術大学)教授岡田信一郎氏(※)です。古典主義様式の最高傑作として高く評価され、わが国近代洋風建築の発展に寄与した代表的な建造物と言われています。』明治安田生命HPより


岡田信一郎氏は、鳩山会館(1924年竣工)を設計していますね





静嘉堂美術館は、世田谷区から丸の内に2022年10月に移ってきました








河鍋暁斎と松浦武四郎をおさらいすると


河鍋暁斎(かわなべきょうさい)は幕末から明治時代に活躍した、1831年生(1831〜1889)まれの絵師だ。浮世絵師の歌川国芳に弟子入りした後に、狩野派の門を叩き、最初に妻としたのは江戸琳派・鈴木其一の次女で、様々な画風の作品が遺されている。また弟子の一人に、ニコライ堂や三菱一号館を設計した、ジョサイア・コンドルがいたことでも知られ、欧米での人気も高い。』展覧会HPより


【参考】
河鍋暁斎 花鳥図 明治14年(1881)

濃彩細密な花鳥図に雉に巻き付く蛇と鷹が睨み合う構図 ただの花鳥図に終わらないのが河鍋暁斎
雉の頭の左奥の紫色の花弁から白い触手が伸びている幻想的な花は何なんだろ? 気になる…

【参考】
河鍋暁斎 大和美人図屏風
明治17〜18年(1884〜85)

実物を見ると、画中画の屏風に描かれた四季の田園風景が見事です
右隻の美人の左腕があり得ない角度で曲がっている構図も興味深い

【参考】
河鍋暁斎 化猫 惺々狂画帖より
明治14年(1881)

この猫の可愛らしさは猫好きにはたまらない
旅人の驚くポーズ!

【参考】
河鍋暁斎絵日記より 
席画会のコンドル

『ジョサイア・コンドル(Josiah Conder、1852年9月28日 - 1920年6月21日) は、イギリスの建築家。明治政府によって通称「御雇外国人」として日本に招聘された。明治10年に、工部大学校(現・東京大学工学部)の造家学(建築学)教師として来日して、西洋建築学を教えた。そのかたわら、明治期の洋館の建築家としても活躍し、上野博物館や鹿鳴館、有栖川宮邸などを設計した。辰野金吾はじめ創成期の日本人建築家を育成し、明治以後の日本建築界の基礎を築いた。明治23年に退官した後も民間で建築設計事務所を開設し、ニコライ堂や三菱1号館など数多くの建築物を設計した。』ウェキペディアより


旧岩崎家住宅洋館 明治29年(1896)
ジョサイア・コンドル設計



松浦武四郎(まつうらたけしろう)は江戸後期の1818年(1818〜1888)に生まれた。現在の北海道である蝦夷地の各地を探検し、歴史や地理、文化や風俗などを自ら著した、関連書籍を多く出版したことで知られる。また「北海道」の名付け親と言われることもある。


だが、今回の展覧会では、彼の好古家としての側面にフィーチャーしている。好古家とは、読んで字の如く「古(いにしえ)を好む者」ということなのだが、特に古文書や仏像などの遺物を収集し、その研究に打ち込んだ、江戸時代後期から明治時代の人たちのこと。今で言えば、歴史や民俗に興味や関心を抱き、骨董収集家である人というイメージだ。』展覧会HPより


展覧会の構成は
第1章 暁斎と武四郎ー『撥雲余興』まで

第2章  暁斎と武四郎ー天神信仰と祈の造形

第3章 暁斎✕武四郎=「武四郎涅槃図」

第4章 好古趣味の系譜ー静嘉堂文庫と千歳文庫

(会場は第1章と第4章が撮影禁止のため写真はネット画像借用)



河鍋暁斎 地獄極楽巡り図 明治2〜5年(1869〜72) (公財)静嘉堂


展示室に残る古いエレベーター


阿弥陀来迎図 江戸時代 
(公財)静嘉堂

慈覚大師伝 平安時代 

(公財)静嘉堂


天満宮二十五霊場神鏡背面拓本
明治18年(1885) 松浦武四郎記念館

河鍋暁斎 日課天神像 明治20年(1887) 松浦武四郎記念館

天神と観音を日課として描いた一枚


河鍋暁斎 野見宿禰図(絵馬)
明治17年(1884) 松浦武四郎記念館


メインの第3章 『武四郎涅槃図』

『横になった武四郎を愛玩の古物が悲壮な面持ちで取り巻くという、武四郎を釈迦入減の姿に見立 てた「武四郎涅槃図(北海道人樹下午睡図)」(松浦武四郎記念館蔵)も描いた。』展覧会HPより




武四郎が伊勢出身の国文学者佐佐木信綱に「武四郎涅槃図」を説明した




河鍋暁斎 武四郎涅槃図
明治19年(1886) 松浦武四郎記念館

横たわる武四郎の後ろの公家が岩倉具視
その後ろのひな壇には武四郎の古物コレクションがならぶ
武四郎の足をさすっているのは比丘ではなく後家さん
武四郎は「大首飾り」を付けている


大首飾り 縄文〜近代

(公財)静嘉堂




武四郎涅槃図に登場する、武四郎が蒐集した古物彫刻の数々







(公財)静嘉堂および松浦武四郎記念館



狩野探幽 白衣観音図 江戸時代
松浦武四郎記念館

伝雪村 壁書図 室町時代
松浦武四郎記念館

周耕 猿猴図 室町時代
松浦武四郎記念館



(公財)静嘉堂所有の古物


第4章 好古趣味の系譜


『武四郎 の親友・川喜田石水(1822~79/川喜田家第14代)と実業家で陶芸も能くした川喜田半泥子(1878~1963 /川喜田家第16代)、岩崎小彌太(1879~1945/三菱第四代社長・静嘉堂初代理事長)との縁を紹介します。』展覧会パンフレットより


石水博物館は三重県津市の博物館で伊勢の豪商、川喜多家の旧蔵資料と川喜田半泥子(1878〜1963)の作品コレクションを収蔵している



井戸茶碗 銘紅葉山 朝鮮時代
石水博物館

武野紹鴎所持、今井宗久伝来
川喜田半泥子所有の井戸茶碗
口縁の金継ぎ、見込みにくすんだ赤の模様が印象的


近衛信尹 渡唐天神像自画賛
慶長15年(1610) 石水博物館

寛永の三筆、近衛信尹
天神の線はただ者じゃない





曜変天目 南宋時代(12〜13C)

(公財)静嘉堂


静嘉堂の至宝



『絵師・河鍋暁斎(1831~89)と、探検家で好古家、著述家、北海道の名付け親である松浦武四郎  (1818~88)は、幕末から明治期を生きたマルチタレントです。二人の交流は明治の初め頃からあり、武四郎は愛玩品を集めた書物「撥雲余興」(当館蔵)等の挿絵を暁斎らに依頼しています。住いも近く、 共に天神を信仰し、情に篤い二人をつなぐ記念碑的作品は何と言っても「武四郎涅槃図」です。本展 では、「武四郎涅槃図」とそこに描かれた、「大首飾り」(当館所蔵)をはじめとした武四郎愛玩の品々(武四郎 記念館所蔵品と当館所蔵品)を同じ空間で展示し、「武四郎涅槃図」を立体的に再現します。』展覧会パンフレットより


最後まで、「画鬼河鍋暁斎✕鬼才松浦武四郎」はよくわかりませんでしたが、二人をやや強引に結びつける、美術館スタッフの苦労がひしひしと伝わった展覧会でした


★★★★☆




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