サンシキヒルガオ(三色昼顔) は、南ヨーロッパ原産のヒルガオ科・セイヨウヒルガオ属のつる性植物。日本原産のヒルガオとは近縁種。
ヒルガオは、花が丸い鏡のようで、万葉の頃から、愛しい人の顔が写ってみえるといわれ“カオバナ(顔花)”と呼ばれていた。
「朝顔」は「朝に咲くカオバナ」で、午後も咲いているヒルガオは「昼に咲くカオバナ」として「昼顔」という名前がつけられた。
サンシキヒルガオのフランス名は、bell de jour(ベルドゥジュール)直訳すると「昼間の美人」。
ベルドゥジュールの花言葉は、「coquetterie(媚態)」らしい。
蓮見重彦の“伯爵夫人”を読んでいて、なぜかカトリーヌ・ドヌーヴの“昼顔”が頭から離れなかった…
“BELL DE JOUR”昼顔は
1967年のフランス映画
監督は、シュルレアリスム映画の
金字塔“アンダルシアの犬”を
サルバドール・ダリと共に撮った
ルイス・ブニュエル
(1900〜1983)
主演は1963年の
“シュルブールの雨傘”のヒロイン、
“ダンサー・イン・ザ・ダーク”
2000年 助演
是枝裕和監督 “真実” 2019年
主演の
カトリーヌ・ドヌーヴ
(1943〜)
ドヌーヴは、17歳の時に監督の
ロジェ・ヴァディムと同棲し、
19歳でシングルマザーとなり、
撮影当時は23歳で、イギリス人の
写真家と結婚していた
ブニュエルは、監督のオファーがあった時、原作を「ソープオペラ」のような通俗的作品と考え、映画化に乗り気ではなかったが、フロイト的な解釈で再構築しようと監督を引き受けたようだ。
フロイトは、動物の食事は生命維持の為の食物摂取であり、性行為は生殖のため発情期にだけに行うもの。
動物の「本能」に対して、人間は、より美味いものを求め“料理”し、いつも発情し、生殖から逸脱している。
結果、人間の「欲動(リビドー)」の向かう対象・発現は流動的で多様であり、動物の「本能」に対して、人間はすべてが倒錯的で、変態である事を表現している。
人間の「欲動」を、“正常と異常”という二項対立から脱構築した映画
この映画の見どころは、映画という媒体を真にアバンギャルドに使ったルイス・ブニュエルの芸術、21歳でディオールのチーフデザイナーになった天才イブサンローランの衣裳=美術センス、23歳のカトリーヌ・ドヌーヴの清楚な容姿でありながら熟れたエロティックな裸体のファム・ファタール!!
ちなみに、ルキノ・ビスコッティはブニュエルを「真に革新的唯一の作家」と評し、蓮見重彦は“昼顔”の女性心理に刮目し、澁澤龍彦はカトリーヌ・ドヌーヴをベタ褒め、ドヌーヴは“成瀬巳喜男”の映画が大好き(後日話)という関係
物語の始まりは…
ハンサムな外科医の夫と何不自由なく暮らすセブリーヌ(ドヌーヴ)、鈴の音が鳴る馬車に乗って、優雅なドライブ
馭者にセブリーヌを犯させる、恍惚とするセブリーヌ…
それは、セブリーヌの妄想だった
セブリーヌは、幼児期に性的虐待を受け、自身を汚れた身と感じ、性行為を忌避し、罪の意識(無意識に)を持っている。そのトラウマからか夫との性行為を拒否し、夫もそれをあえて強制しない。
セブリーヌは頻繁に、被虐的(マゾヒスティック)な妄想に囚われる。
もちろん、夫はセブリーヌにそんなに性癖があるとは思っておらず、清楚で貞淑な妻を愛しいと思っている。
ある時、セレブ仲間の知人が娼婦をしていることを友人から聞く、「金」で見ず知らずのクソジジイに体を売る…
セブリーヌは、なぜかその秘密の娼館に異常な興味を覚え、引き込まれるように娼館の扉を開く
これも、セブリーヌの妄想だった…
ある日の娼館、スペイン人の“若い殺し屋”が客となる
樹に縛られた、セブリーヌに銃弾があたる
近づく夫
セブリーヌは夫を甲斐甲斐しく介護し、しばし平穏な時間が流れる
誰も乗っていない馬車の映像
鈴の音が聞響く
身震いがするほど、
清々しいラストシーン、
その時、私はセブリーヌになった
男女の性を超え、人間の「欲動」
そして「魂」の解放の物語(映画)
「伯爵夫人」と同じテイストを
感じる
★★★★★
人間の「欲動」を、“正常と異常”という二項対立から脱構築した映画
ブニュエルの他の映画をもっと見ると、「伯爵夫人」との親和性がよりよくわかるでしょう…