大阪の日本画 東京ステーションギャラリー | やまちゃん1のブログ

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4/2まで大阪中之島美術館で
開催されていた「大阪の日本画」が
東京ステーションギャラリーに巡回



中之島美術館のポスター「初めてにして決定版、浪華の名画大集結。」
「大阪の日本画」というカテゴリーが初めてなんです

明治以降、岡倉天心を中心にして、東京で日本画が誕生(西洋画に対して)する
伝統の京都は、竹内栖鳳を主軸に京都画壇を形成するが、美術史に大阪画壇は登場せず、北野恒富の名前もない…
時々、添え物のように大正デカダンスの「悪魔派」として紹介されてきた“北野恒富”と「大阪の日本画」 その真価を問う展覧会


構成は、
第一章 人を描くー北野恒富とその門下
第二章 文化を描くー菅楯彦、生田花朝
第三章 新たなる山水を描くー矢野橋村と新南画
第四章 文人画ー街に息づく中国趣味
第五章 船場派ー商家の床の間を飾る画
第六章 新しい表現の探求と女性画家の飛躍

前期4/15〜5/14  後期5/16〜6/11でほぼ入れ替えのため2回観ないと全容は分からない

(撮影不可のため写真はすべてネット画像を借用しました)


北野恒富 宝恵籠 1931年
山崎豊子原作の映画「ぼんち」市川崑監督、で若尾文子の芸者“ぽん太”も乗ってます

大阪画壇、北野恒富のパトロンだった根津清太郎は豪商「根津商店」の一人息子。妻は後に谷崎潤一郎と再婚する“松子夫人”。「根津商店」は、清太郎の放蕩と銀行破綻などで倒産した。“いとさんこいさん”が谷崎潤一郎の「細雪」を想起させるのはむべなるかな。


北野恒富は画塾・白耀社を設立。白耀社の門下生の約四割は女性だったと言われ、多くの女性画家を輩出した。恒富は白耀社設立以前にも島成園と交流を持ち、吉岡千種(木谷千種)にも師事されていたように大阪画壇における女性画家育成の一翼を担っていた。



中村貞以 失題 1921年

今回一番のお気に入り。見たことがない美人画?

日本髪の丸、肩の丸、そして腰臀部の大きな丸、三重の丸の構図が印象的で青い帯?がキュート
愛嬌のある顔が大阪らしい? 素足のピンクもかわいい



橋本青江 梅林春景図 1893年
女性文人画家。モコモコした山の連なりと、繊細な描写の梅樹がみごと



矢野橋村 湖山幽岳 1915年
実物はかなり大きい。橋村は、新南画を標榜


菅楯彦 阪都四ツ橋 1946年
四ツ橋は江戸時代風光明媚な場所だったららしい

生田花朝 天神祭 1935年


「女四人の会」1916(大正5)年
左から、岡本更園、木谷千種、島成園、松本華羊


四人は、井原西鶴の「好色五人女」に取材したそれぞれの作品を持ち寄った。当時では珍しい先進的取組み



島成園 祭りのよそおい 1913年

女児の祭りの装いに貧富の差が表れる


木谷千種 浄瑠璃船 1926年


高橋成薇 秋立つ 1928年


吉岡美枝 店頭の初夏 1939年



女性作家が活躍しています

美術史から黙殺?されてきた
「大阪の日本画」大阪中之島美術館の執念が感じられる展覧会

★★★★☆

後期も観ないと!




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