「紅白梅図屏風」画家とモデルその4 | やまちゃん1のブログ

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画家とモデルで「紅白梅図屏風」とはこれいかに。

この絵の解釈で最も有名なのは、小林市太郎の説だろう。

小林氏は、元神戸大学文学部の教授であり西田幾多郎門下の美術史家です。

著作「光琳と乾山」の中で、「この屏風絵は、全く『嬲る(なぶる)』という字を絵で描いている。まず中央の豊満な水の流れ、それがちゃんと女体になっていることを、なぜ人は見ないのであろうか。」
「白梅は光琳自身、紅梅は光琳のパトロンだった中村内蔵助、あいだの川は『おさん』という女であって、男二人で我がものにせんと競いあっている・・・」

モデルは、光琳と内蔵助そして、おさんと言うことになります。


尾形光琳 「中村内蔵助像」江戸中期


中村内蔵助(1669~1730)は、京都で貨幣鋳造を司る銀座役人のトップに上り詰めた人物で、11歳年上の尾形光琳(1658~1716)のパトロンであり 、二人は衆道の関係にもあったようです。

『おさん』は光琳の実家呉服商「雁金屋」の奉公人で光琳のお妾さんでした。
光琳との間に辰次郎という子供をもうけますが、内蔵助の仲介で銀座役人の養子にしています。
また、光琳は内蔵助の娘を引き取って養育して、自分の息子と結婚させています。

山口晃  「尾形光琳 」2015年

光琳と内蔵助は、表向き芸術家とパトロンの関係でしたが11歳下の内蔵助は光琳の愛人であり、『おさん』は二人の共通の愛人でもありました。
二人ともバイセクシュアルだったわけです。



尾形光琳 「竹に虎図」江戸中期


ちなみに、京都国立博物館の公式キャラ「トラりん」のもとになった「竹に虎図」は、夢に出てきた嫉妬深く口うるさい光琳の本妻、多代を描いたそうです(小林市太郎説)。




前述の小林市太郎による解釈は次の通りです、

「まず、中央の豊満な水の流れ、それがちゃんと女体になっていることを、なぜ人は見ないのであろうか。仰むけにのけぞった頸から胸の乳、みずおち、なだらかな腹、恥骨のあたり のやわらかなふくらみにいたるまでを、その正面はこまやかに魅惑豊かにあらわしている。
 また背面はわざと巨大な尻をつき出して、後ろからそーっと忍びよる紅梅すなわち内蔵助をはじき返している。いざこれから玉樹後庭花でゆこうというたのしいところを、肘鉄ならぬ尻鉄くってどんとはねとばされた紅梅は、おどろいて両手をあげ、だあとなって両足をひろげ、一物勃起したままどうにもならずにしゃきりたっている。
 これに反して光琳の白梅は、太く逞しく強ばって重量感ある大きい根をゆらりゆらり揺りうごかして下腹をねらい、その枝は手のように肘をまげて乳の先をまさぐっている。そして、樹根は恥骨をたたきながら、「どうだ、俺のは太くて固いだろう。内蔵助の痩せっぽっちは色男のように見えるけれども、あの日干しのみみずのようなのは話にならぬ」と、得意がっていよいよ太く大きくふくれてゆくようにみえる。そしてその古怪な亀頭がいかにもそこに嗅ぎ寄って、目をつむって匂いをたのしんでいるようなのがおかしい。光琳が事実こんなきもちでこの絵を描いたことは、なによりもこの絵じしんがもっともよく示している。・・・
光琳は白梅の太い根が自分の根であることを念押しして強調するために、そのすぐ下にまちがわぬように法橋光琳と署名している。」
小林市太郎「光琳と乾山」より



二人の男性と一人の女性。
バイセクシュアルの要素で、思いだすのが「O嬢の物語」です。


1954年にフランスで発表され、1955年のドゥ・マゴ賞を受賞した小説です。

作者ポーリーヌ・レアージュ=本名ドミニク・オーリー(1907~1998)は、フランス人の女性で、翻訳家、批評家として活躍していました。

作品は、彼女が恋人で作家・文芸評論家のジャン・ポーラン(1884~1968)の「女性は性愛文学を書くことはできない」と主張していたことに異を唱え、彼の関心を引くために執筆したとの事です。


ファッション写真家のO嬢には、ルネという恋人がいます。ルネによって、城館に連れられ奴隷状態を受け入れたO嬢は、ルネが兄のように(義理の兄弟)敬愛する10歳年上のイギリス人ステファン卿に譲渡されます。O嬢はステファン卿によって、鞭打たれ凌辱され次第に精神的浄化を得ていきます。また、O嬢は女性も愛するバイセクシュアルとしても描かれています。


物語は、O嬢の精神を主眼にした、魂の告白の書であり、激烈な「サピオセクシャル( 見た目やジェンダー、性別よりも、相手の持つ知的能力に対して、性的な興奮を感じる)の物語とも云えます。


根底にあるのは、かなり年上(23歳)の尊敬する恋人に宛てた真摯で慎ましやかな、しかも情熱的な告白の書だと云われています。



作品に影響を与えた人物の一人に、作者と同い年の芸術家レオノール・フィニ(1907~1996)がいます。


フィニはシュールレアリズムの画家に括られることが多いですが、主宰者アンドレ・ブルトンの男根主義的(ミューズは崇めるが女性芸術家は認めない)な思想を嫌い運動から距離をとっていた。


彼女は、画家のマックス・エルンスト、小説家のピエール・ド・マンディアルグの恋人であり、男性も女性も、そして猫を愛する芸術家でした。

「O嬢の物語」豪華本の挿絵も手がけています。







フィニ 「赤い帽子の自画像」1968年


レオノール・フィニ 「日曜日の午後」1980年



仮面を掲げポーズするフィニ

フィニの造る仮面、それを着けて被写体になるフィニ 、芸術活動ですね


フクロウの仮面を被り、猫を抱くフィニ


フクロウの仮面を被ったO嬢
映画 「O嬢の物語」より 

フィニの意気地のある奔放な生き方は、オーリーにも影響を与えたのでは・・



光琳の「紅白梅図屏風」から「O嬢の物語」に飛躍しましたが、古今東西の優れた芸術にはどこか通底する物語があるようです。

クリムトは「紅白梅図屏風」の小林市太郎説を知っていたわけではありません。
しかし、クリムトは中央の水流が女性のエロティシズムを表しているいることを見抜いています。

クリムトの愛人でもあった婦人を描いた
「アーデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像」1907年
には、「紅白梅図屏風」の水流=女体がクリムトによって、はっきりと解説されています。


小林説のもとになったのは、案外クリムトの解釈ではなかったか・・・