※連体修飾語・連用修飾語(1)のつづきです。


 体言・用言についての説明は前回の記事でお分かりになると思う。簡略化してまとめると下記のようになる。


「体言」=名詞
「用言」=動詞・形容詞・形容動詞


 さて、今回は前回の品詞の話を踏まえた上で、「別の」文法上の分類の仕方について書いてみようと思う。「文の成分」と呼ばれる分類方法である。主語・述語・修飾語・接続語・独立語・並立語がこれにあたる。ではそれぞれどんな働きをするのか見ていこう。

  • 主語:
    主に格助詞「が」を伴ない、文章の主役になる語である。「鳥が飛ぶ」の「鳥が」がそれにあたる。通常日本語の文章では「述語」に重きが置かれる。つまり「何を言いたいか」が述語部分に集約される形になるため、「主語が省略された」文章が非常に多い。会話の際でも「何について話しているのか」という主題部分が、話し手と聞き手の間で共通認識としてある場合は、主語が省略される。そういう意味では、文章に必須な要素ではないとも言える。


  • 述語:
    上記で少し述べたように、日本語の文章の核となるのが「述語」である。これを省略すると文章が成り立たないが、逆に言えば述語さえ存在すれば、文章の概形はなんとなく掴める。語尾に助動詞を伴なって時制を表したり、敬語を伴って相手との関係を示したりすることが出来る。


  • 独立語:
    文字の通り、他の語にかかったり、受けたりせずにその後単独で意味を成すものである。感動や呼びかけの語が一般的な例(「あぁ」「もしもし」など)。名詞もこれに用いられることがある。


  • 接続語:
    後に続く文章との論理的関係を示す語、または前後の文章動詞の関係を示す語である。品詞の分類では「接続詞」に分類されているもので、読解問題ではこれをしっかり押さえることが一つのテクニックである。


  • 修飾語:
    • 連体修飾語:
      言になる修飾語
      品詞分類が分かっていればこの説明だけで語のイメージが出来るかと思う。体言、つまり名詞にかかる修飾語を連体修飾語と呼ぶ。
      そのものがどんなものであるかを説明し、規定する文の成分である。

      例:「私のブログ」→「私の」が「ブログ」を規定する連体修飾語。


    • 連用修飾語:
      言になる修飾語
      文字の通り用言、つまり動詞・形容詞・形容動詞にかかる語のことを連用修飾語と呼ぶ。主に述語部分を修飾する語であるが、文章の意味的には省略されても特に問題ない場合が多い。これは、その述語部分の「より詳しい説明」をしているからであり、述語そのものが単独で意味を成していることによるものである。

      例:「私の兄は救いようがない阿呆である。」
      上の例文では「私の兄は阿呆である」でも意味は通じるが、兄がどのくらい阿呆なのか、というのを「救いようがない」がより詳細に説明しているものである。



  •  段組が少々複雑になってしまったが、少しは理解の助けになっただろうか。まずは用言、体言がなんであるか、が分かっていないと「連用修飾語」も「連体修飾語」も良く分からない代物であろうと思われる。

     こういう説明をするにつけ、日本の国語科教育の不親切さ、細切れに説明をして、学年ごとの確認・連絡を取らないいい加減さを実感する。それは現場の教師が悪いのではなく、システムの問題である。色々考え始めると煮えてくるので今日はこの辺で。

     この記事がほんの少しでも、わずかでも誰かの助けの祈りになることを祈って。

 先日、春期講習用の講座作成のため、各学年ごとに必要と思われる分野を小分けにする作業を行った。大学の選択授業のイメージで、講座を細かく分け、数学→関数→二次関数、というようなプログラムを予め作っておき、苦手な分野の講座だけ取って貰うという仕組み。

 小・中の国語科の講座草案を任されたのでマインドマップで簡単に分けてみた。その時に目についたのが今日のタイトルにもある「連体修飾語」と「連用修飾語」である。この名前、皆さん見覚えがあるだろうか。あるとしたら大抵はイヤな思い出では無かろうかと思われる(ちなみに僕は見た瞬間に舌打ちしそうになった)。

 一度出てきたっきり、それ以降は特に重要視されることもないこれらの言葉。この長ったらしい言葉を理解するためには、まず品詞の分類を理解する必要がある。今日は品詞分解をテーマに書いてみようと思う。

 品詞とは、日本語の文章をまず「文節」に区切り、さらに細かく「語」に分けたもの。いわゆる「単語」である。

やまのひと、あるく。-品詞


 その分類はまず「自立語」と「付属語」に分けられる。その単語だけで意味が通じるのが自立語。何かにくっついてないと意味をなさないのが付属語である。

 付属語の中で活用があるのが「助動詞」。無いのが「助詞」。高校生以上ならば、これらの言葉については英語を先に思い浮かべる方が分かりやすい。助動詞は文字の通り動詞の働きを助けるもの。過去の「た」などがこれに当たる(行く+た=行った)。助詞は、俗に言う「てにをは」である。曖昧さが伴ない、最も説明に苦しむものでもある。

 今度は自立語。活用するものは3つあり、それぞれ「動詞」「形容詞」「形容動詞」と呼ばれる。流石にこの3つは耳に馴染みがあるだろう。それぞれの働きは今回はスルー。これらをまとめて「用言」という別称で呼ぶこともある。

 自立語の中で活用しないもの、中で一番分かりやすいのが「名詞」。人やモノ、出来事などの名称を表す単語である。名詞にも別称があり、「体言」と呼ばれる。単体よりも「体言止め」という言葉のほうが有名ではなかろうか。体言で文章が終わるから体言止めなのである。

 体言にくっついて使われるのが「連体詞」。これがほぼ「イコール連体修飾語」である。「あの人」の「あの」などがこれにあたる。本来は別の品詞だったものの中で、連体修飾語としての働き意外の用法が廃れてしまったものが多い。

 他には「接続詞」「感動詞」「副詞」が自立語に含まれる。それぞれの説明もしたいところだが、それは別の機会にしようと思う。

 長くなってしまったので(2)へ続く。

 今更ながらに「東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法」を読み始めたという。塾講師を名乗っておきながら、今まで個別指導のプロの本を読んでいなかったのも問題だが、それはそれ。

 覚えたてのマインドマップでちまちまとメモしながら読み進める。「わかる」「覚える」「慣れる」の3つの循環は、実によく「わかる」お話である。どれかが欠落している子どもは、どんなにやる気のある子でも上手くいかない。

 要はバランスである。暗記していなければ分からないし、分かっていなければ練習問題が解けないし、覚えたつもりでいても書けないのは分かっていないからだ。「無意識レベルで実行」というところまで練習を繰り返すのは並大抵じゃ無いなぁ、と思う。だが、確かに「できる」と言えるレベルまで持っていくにはそれが一番であろうと思う。

 覚えるときには「わかる」「わからない」を意識せずにとにかく暗記!という極端さも、効率を重視するならば納得できる方法だ。んーんー、といちいち立ち止まって考えているとなかなか先に進まない。というか今まさに小学生の歴史でそういう状態なので実感出来るというか何と言うか…。



 教える立場としてこの本はすごくためになる。じっくり咀嚼しながら読むことにしよう。まとめながら読むとそんなに早く読めない、というのが正解だが。
 
 もっと速く回れ僕の脳!


やまのひと、あるく。-mm02
テーマ:ヴィジュアル化


 スケッチブックを買ったのなんて中学の美術以来じゃないだろうか。この紙一枚で…と値段を思い浮かべてしまうと手が震える小心者。しかし身を斬るくらいの気持ちでなければイカンということで小市民ながらも道具に投資をし(無印のツインペンセットも買った)、ちまちまと絵の練習をしたりマインドマップの訓練をしたりしている。

 とりあえず本を読みながら、章の内容を実際にマインドマップにまとめたりしている。塾の講習会のプログラム案などにも活用したりしてみている。実際に使う機会を増やして、慣れている段階である。何も知らない人に見せると「キレイですねー!」と喜ばれるが、技術を知ってる人には見せたく無いな…。

 いずれは普通にノートを取る時にサラサラと描けるようになりたいなぁ、などと妄想しながら上手くも無い絵を交え、えいえいと描いている。千里の道も一歩から。そろそろ半歩くらい進んだだろうか。



$やまのひと、あるく。-全身

参考文献:
ラクガキ・マスター 描くことが楽しくなる絵のキホン


 開いた途端にコレだと、ただでさえ少ない読者がより一層減りそうな気が…。ともあれ、今日は人物の練習に突入した。お前コレが人間のつもりか?と各方面からツッコミが飛んできそうだが、人間である。

 名づけて「人間くん1号」。これを基本形として人体の動きを描く練習をするというわけである。胸部が木製だったり、胴周りがゴム製だったり、という細かい設定があるのだが、その辺は割愛。モデルとなる教科書の図よりもすこし横長になってしまった…。次回はもう少しスマートに描こう…。

 おまけの顔4つ。↓

$やまのひと、あるく。-正面と下
$やまのひと、あるく。-あおりと上


 …楽しんで頂けただろうか。ここから人体をマトモに描けるようになるまで、一体どのくらいの時間が必要なのか。そしてこのシリーズをこのまま続けて良いのか。文字通り迷走中である。