やまのひと、あるく。-S001

参考文献:
ラクガキ・マスター 描くことが楽しくなる絵のキホン


 なんだこの脱力系の絵は。と自分でもツッこみたくなるようなヘタレ絵である。

 現在、上記の本を教科書にラクガキの練習中。落書きを練習ってなんじゃそら、という感想はごもっとも。言い換えれば「ちょっとノートの隅に書くような絵」が見やすく、上手に描けるようになりたいのである。

 子ども達に教科内容を説明する時にも、ちょっとした絵があった方が印象に残りやすく、楽しんで勉強出来るのでは無かろうか。そもそもの発端はそこなのであるが…。先は長そうである。

 ラクガキとはいえ、物体の特徴を捉え、「それが何であるか」を直感的に分かって貰える絵でないと描く意味がないのだ。伝わらない絵など描く時間の無駄である(講師的には)。そういう意味ではわりと必死。

 差し当たって「葉っぱの描き方」「枝の描き方(立体)」などを倣って書いてみている。めちゃくちゃ時間が掛かっている感覚。これは大変だー。


 と言うわけで、ちょこちょこ脱力系の絵が載ることになると思われる。お好きでない方、スミマセン。もし良ければ御気軽にコメントなど頂けると幸い。

今年一年を漢字で表すと? ブログネタ:今年一年を漢字で表すと? 参加中
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「ザ・占い」PC版
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 Blogタイトルにもある通り、今年を象徴する字は「」。少しでも、一歩ずつでも前に進めていくことを目標に過ごしている。どうやら余りにも高い山を見ると登る気を無くすタイプなので、この位が丁度いいようだ。

 色々と勉強しなければ、身に付けなければ、と思うことは多い。少しずつ自分のものにしていこう。マインドマップもそうだし、手帳を毎日記録を書くのも頑張りたい。資格の勉強も勿論だ。あれれ、結構多いじゃないか?焦って転ばないように気を付けなければ。

 来年の一文字は…上記の占いによると「情」らしいのだが。そろそろいい加減ギアを少し上げたいな、ということで個人的には「登」にしようと思う。えっちら、おっちら。
やまのひと、あるく。-mm01


 を読みながらマインドマップの勉強中。今まで色を使うということをせずに適当に描いていたので、今回のモノが色つき第一号。確かに、色がついている方が、ブランチごとの内容が一目で把握しやすい。納得である。

 B5ノート見開きは真ん中の段差で描きにくいので、スケッチブックを購入することにした。小学生以来じゃないのかなこれは…とか思いながらB4サイズを購入。

 ついでに手帳用の3色ボールペンも購入。自分が小学生の頃にこういう文具があったら楽しかっただろうなぁ、とちょっと今の子ども達が羨ましい。ゲルインクタイプ。にじまないといいなぁ。


 明日以降はスケッチブックと色ペンでマインドマップの練習だー。
やまのひと、あるく。

読んでいる本:海馬 脳は疲れない


  社会や個人といった人間関係や、脳と神経細胞のような体の内部の関係は、相互関係で成立している。筋肉が一方が伸びると一方が縮むように、相互の関係はバランスを保つように出来ている。

  この章で糸井・池谷両氏がテーマにしているのは、その相互関係を成立させるストッパーの存在についてである。例えば、身体が耐えられないような力を加えないように、筋肉や脳にはストッパーが存在する。これらは普段は意識して変えられないものであるが、ごく一部の人はこのストッパーの存在を無視するかのごとき力を発揮したりするのである。

  物事や事態を打開するために、このようなストッパーを休ませる(無視する)ということには、当然だが無理も生ずる。例えば商品を開発するために必要なコストにストッパー(コスト限界)があるのは当然だ。これに対し、もう少しのコストをかけて機能を追加しよう、という動きはストッパー解除の方向性である。

  この方法においては、「大成功」と「大失敗」の二つの結果が用意されることになる。本来の結果よりも結果的に良くなるか悪くなるか、それは実行してみなければ分からないことであるが、失敗した結果の損失は明らかに実行前よりも大きくなるのである。

  プランを実行に移す前にシミュレーションを行うことによって、ある程度の予想と期待、そして損失や損害を計算することが出来るだろう。これらのことをどの程度綿密に行うか、が一流の条件であると糸井さんは考えているようだ。勿論、シミュレーションだけでなく実行に移すという前提だが。一流と呼ばれる人々は、ストッパーを意図して解除することが出来る人である、という結論になるだろうか。

  脳には新しいものに対する警戒心がある。人間関係においてもそうだろう。自分たちから見て異端な存在は排除しようとする機能が働く。これは生存という観点から見れば正しい。しかし時にはそのような「正しい」範疇から外にある選択も必要であろう。そうでなければ変革は訪れない。新たな発見には至らないし、天才も英傑も現れない。

  ストッパーは我々を守るものであり、保守的な方向に導くものでもある。違う結果や方向性を求めるならばそのストッパーを飛び越えたり、突き破ったり、壊したりしなければならないのかも知れない。今までの先駆者たちがそうしてきたように。


やまのひと、あるく。-おしゃべり

読んでいる本:海馬 脳は疲れない


 一流と呼ばれる人にはおしゃべりな人が殆ど、という話題から始まる章。確かに僕の知り合いの中で考えても、尊敬できるくらい頭がいい人はみんな「おしゃべり」だった。それは無駄口が多い、とかではなくて、しっかり説得力を持った内容の話をすることが出来る人。これ、という専門分野の話をわかりやすく出来るという人。大事なことはこれ、ときちんと要点をまとめて話すことが出来る人。

 高校時代なんかは学校の教師の授業が、分かりにくいどころかさっぱり分からなかったので、友人に「補習」をして貰っていた。彼の話は要点を抑えていて、長くても聞いても苦にならなかった。自分で理解した内容を僕に分かるように噛み砕き、意図的に分かりやすく解説してくれた。僕の記憶の中にいる教師の理想像の一人は、彼だ。

 おしゃべりな人というのは、情報量の多さに負けずにそれを処理し、分類し、分析し、自分の持つ「話題」に転換できる人のことを指すのだろう。脳は結びつける能力を持っている、というのが前回の話。結びつけた情報をどう人に伝えるか、伝えてもらうか、が今回の話。

 糸井・池谷両氏の取っている「対談」という形式の企画は、そこに参加する人同士のコミュニケーションの如何によって出来・不出来が決まるだろう。そういう意味では糸井さんの持っている「相手の持っている情報を引っ張り出す」能力は実に対談向きだと言える(問題は糸井さん本人が「おしゃべり」だということか)。

 難しい話を聞いて「真っ白」になる。誰しも一度は経験したことがあるのではなかろうか。真っ白にならないためにはどうするか?「ついていこうとする」ことが大事だ、と糸井さんは言う。おいおい、と思いつつも確かにそうだ。真っ白からいかに早く立ち直り、脳をリフレッシュして「再起動」しなければコミュニケーション不全に陥るだけなのだから。

 糸井さんのように、気の利いた質問を出して相手の持っている情報をどんどん引っ張り出そうとするのは難しい。簡単そうに言っているが、それこそ結び付ける力がしっかり働いていなければ「質問」が出来ない。でも分かりにくい話を聞いているときに「もう一度説明してください」「今のところ、もう少しだけ分かりやすくお願いします」くらいは言えるかもしれない。

 そうすることで「どうにかして話についていくぞ」という意思表示が出来ればいい。聞く姿勢を見せている人を目の前にして、邪険に断る人はそうはいない(はず)だ。そうしてしっかり情報を入力できれば、次の出力に繋がるというものである。

 目指せ、ディスコミュニケーション防止。