感性を磨く


秋晴れの、とある日のこと。
刈り取りが終わり、遠くまで、さえぎるものは何ひとつない、
広大な斐川平野のただ中を車で走り抜けていた時、
空がやけに高く丸く大きく広がるのを感じた。
普段あまり感じたことのない途方もなく大きな空の感覚である。
するとなぜか、ふと先日急逝した谷村新司さんを連想した。
「昴」はきっとこういう空を見上げた時に生まれたのではないか。
そんなふうにすら思えた、どこまでも遠く果てしない空である。
突然湧いた、その衝動に突き動かされ、
思わず車を停めてカメラを持ち出しシャツターを切ったのであるが、
そんな思いで見上げた空の大きさは、とうてい捉えることなどできない。
写真表現の限界を感じてしまう。

谷村新司さんが亡くなって、真っ先に聴き直したいと思ったのが、
「群青」である。
訃報にいち早くこの歌をブログに載せてくれる方がいらして、
その似たような感性に、妙に親近感を覚えたりもする。
この歌は、歌と云うより、わたしにとっては、文学作品と思えるのだ。
人の抱える哀しみを深く考え抜いたものでないと、
辿り着くことのできない言葉がそこに鏤められているからだ。

我より先に逝く 不孝は許せど
残りて 哀しみを抱く身の辛さよ
君を背負い 歩いた日の
温もり 背中に消えかけて
泣けと如く 群青の 海にふる雪
砂に腹ばいて 海の声を聞く
待っていておくれ もうすぐ還るよ

感性と云うのは、性格や考え方とは異なり、
外界からの刺激が、その人に及ぼす固有の感覚であり、
創作活動では中枢を成すものかもしれない。
谷村新司さんがどのようにして感性を磨いていったのかは、
知る由もないが、
感性を磨くことは、創作活動に留まらず、
恋愛関係、ひいては人間関係にも大きな影響を及ぼし、
性格や考え方の相違をも克服する原資なるものと考えたい。
歌に留まらず、谷村新司さんの人柄からも、そんなことを思うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

フォトエッセイ『感性を磨く』朗読版

 

 

群青/谷村新司

 

短編小説 恋文~往信 朗読版

 

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『さよならだんだんまた明日』をリリースされました。
とても素敵な歌ですので、是非聴いてあげて下さい。

不肖私めの撮影した写真も少しだけ入れてありますので、よろしくです。

 

「だんだん」は、出雲地方独特の方言で、ありがとうの意です。

 

 

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