秋色拾遺


秋の小径、注意深く目を凝らしていないと、
小さき草花たちが秘かに蠢いているのだが、つい見過ごしてしまう。
それでも足を止めさせてくれるのは、
赤や青や白と云った、
草叢に小さく点描される原色の花びらである。

路傍に咲く、名もなき野の花たち。
いや、そうではない、れっきとした名はあるのである。
わたしが知らないと云うだけのことで、
当の花たちには、失礼千万な話しではある。

秋と云えば、紅葉に眼が奪われがちであるが、
夏が終わり秋へと移ろうその狭間、
そよぐ風とともに、
季節の移ろい感じさせてくれるのは、野の草花たちである。

長年、何気なく見てきてはいるのだが、
そこに関心なくば、見ていないに等しい。
最初に野の花に関心を寄せたのは、この歌からである。

野に咲く花の名前は知らない
だけども野に咲く花が好き
帽子にいっぱい摘みゆけば
なぜか涙が涙が出るの

戦争の日を何も知らない
だけどもわたしに父はいない
父を思えばああ荒野に
赤い夕陽が夕陽が沈む

作詞:寺山修司
作曲:加藤ヒロシ
「戦争は知らない」

作詞した稀代の詩人寺山修司の父は、セレベス島で戦死している。
後に届けられた骨壺には、ただの白い石ころが入っていたそうだ。

古いとても静かに語られる反戦歌なのであるが、
時を経て、この歌の台詞が死語になるどころか、
このような思いをする少女たちが、
ふたたび世界に溢れはじめている。
なぜ人は愚かな歴史を繰り返す必然から逃れられないのだろう。
心ある人が人間やめますと云いだしても、
ちっともおかしくない時代である。

誰にも知られず失われていく命・・・

野に咲く花の名前は知らない
だけども野に咲く花が好き

ひとりの少女に託したこの歌詞には、
寺山修司の父への鎮魂の思いが込められているようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋色拾遺 朗読版

 

 

 

カルメン・マキ/戦争は知らない

 

短編小説 恋文~往信 朗読版

 

短編小説 恋文~返書 朗読版

 

古くからの友人、高木早苗さんが、松江市観光大使を務める京太郎さんと、

ご当地松江を舞台にしたデュエットソング、

『さよならだんだんまた明日』をリリースされました。
とても素敵な歌ですので、是非聴いてあげて下さい。

不肖私めの撮影した写真も少しだけ入れてありますので、よろしくです。

 

「だんだん」は、出雲地方独特の方言で、ありがとうの意です。

 

 

振袖の振付方を詳しく解説した写真講座を公開しましたので、

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