彼岸花


今年の猛暑には、植物たちも随分調子を狂わされたようであるが、
毎年、この彼岸に開花を合わせたように咲いてみせる彼岸花。
今年は、どうなるのだろうと心配していたのであるが、
どうやら、ことこの花に関しては、その心配も杞憂に終わりそうである。

仕事で出雲へ向かう、農道の道すがら、毎年見事に彼岸花の咲く場所がある。
川を挟んで、片側には、すでに首を垂れた稲穂の実る水田があり、
反対側の草地には彼岸花が群生する。

今、そう強くはない傾いた西日が川面を照らし、
水面をまるで金粉をまぶしたように、
小さく切りこまざかれた光が、きらきらと撥ねている。
それは、黄金色に染まりかけた稲穂にも、
朱に染められた彼岸花にもかすかに注がれ、観る目を蠱惑する。

彼岸花の開花が、天候に左右されないのはどうしてなのだろうか。
仏教では、天上に咲くとされる曼珠沙華を、
俗に彼岸花と呼ぶようになったのも、
いにしえから彼岸になると計ったように咲いてきたからだろう。
そこには、暑い夏のさなか、地表深く眠り続ける謎多きこの花の、
不思議な生態が隠されているようだ。

暑い夏、草に蔽われた地表には何の変化もないのだが、
九月になると、地下の球根から少しずつ茎が伸びてきて、
やがて地表に顔をのぞかせるが、草に紛れてその見分けはつかない。
葉もない茎の先端に赤い蕾ができ、彼岸のある日、
まるで突然出現したかのように大きく花開いて魅せる。

花は一週間ほどで終わるのだが、
彼岸花の本領は、ここからはじまる。
花が枯れ、茎も折れ、その寿命尽きたかに見えるのだが、
しばらくすると、そこから葉っぱが伸びてくる。
この葉が、秋から翌春にかけて、光合成をして、
地中に残る球根に栄養を溜め込んでいく。
そして再び夏になると、その葉も枯らして地表からは姿を消し、
来たる彼岸の日の開花に向けて深い眠りに入る。

「人知れず」と云う言葉があるが、
その言葉の裏に隠された、真の強さと云うものは、
まさにこういう生きざまのことを云うのかもしれない。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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