川井貴志(ロッテ現役/投手/Bランク)
成長タイプ:普通/普通
441人目は千葉ロッテマリーンズ 川井貴志 選手です。
ロッテ時代は中継ぎ、楽天時代は谷間の先発として活躍しました。
星野監督からは
困ったときのボブ
として頼りにされていましたね。
やきゅつく2でも、14年間で559試合に登板し、貴重な中継ぎ左腕として活躍してくれました。
ところでみなさんは
川井選手がなぜボブと呼ばれているか
ご存じですか?
・ボブの由来は?
・名付け親は?
・いつから呼ばれ始めた?
調べてみました!
まず川井選手と言えば、1976年生まれの大阪府大阪市出身です!
大阪と言えば多くのプロ野球選手を輩出している野球王国ですよね!
左投左打、現役投手として最後に在籍した東北楽天ゴールデンイーグルス時代には、「ボブ」という愛称で知られてます!
ストレートの球速は、平均140km/h前半とスピードは無いが、スライダーを軸にスクリューやスローカーブなどを投げ分ける技巧派左腕でした!
天移籍後の2010年以降は、長期にわたって一軍の先発ローテーションに加わることがありませんでした!
しかし、夏場以降の試合や、開幕から先発ローテーションに入っていた投手が疲労・不調の場合に先発で好投することが相次いだそのため、当時の一軍監督だった星野仙一からは、「困った時のボブ」と呼ばれるほど信頼されていました!
川井自身も、引退会見で「(自分の調子が)良い時に一軍へ上げてもらえた。『困った時のボブ』と言ってもらえたことに感謝している」との言葉で、星野への感謝の意を示しています!!!
さっそく
「川井貴志 ボブ」
調べてみました!
すると以下のようなサイトが見つかりました!!
こちらによると、引退を決めた時期と経緯は、昨年9月の終わりごろに15、16年と2年続けて勝てなかったので、少ない登板ながらも、やはりチームの勝ちにつなげることができないのは、貢献できていないということになりますから、最後に、ファームの試合で1イニングだけ投げさせてもらったて、真っすぐでどれだけ抑えられるか、ファウルや空振りが取れれば、まだやれるかもしれないと、でも、簡単にはじき返されてしまったので、結果的に0点に抑えられましたが、直球の力が落ちてきているのかなと、それがきっかけとなり引退を決意したようです!!
このような理由から引退を決意したのですね!!
しかしこちらの記事は有料記事であるため、すべて読むことができませんでした!
次に見つけたこのサイトによると
ボブ(楽天川井貴志)大学の先輩が「漫画のキャプテンのボブに似ている」と命名したようです!!
・どこの大学?
・先輩って誰?
・キャプテンのボブってどんな顔?
調べてみました!
川井選手の大学は城西大学です!
城西大学は、埼玉県坂戸市けやき台1-1に本部を置く日本の私立大学で、1965年に設置された、大学の略称は城西大(じょうさいだい)、城西(じょうさい)で知られていますよね!
大学の先輩が誰のことかは、確定する情報は見つけられませんでした!!
しかし川井選手にボブと命名したということは、先輩は親しい間柄だったかもしれないですね!!
また川井選手がボブと呼ばれ始めた時期ですが、調べた結果だと大学の先輩がボブと名付けたようです!!
したがって高校時代にはまだボブと呼ばれていなかったと考えられます!
また大学の先輩がボブと名付けたようなので、1998年のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから3位で指名、契約金8,000万円、年俸1,000万円(金額は推定)という条件で入団した入りしたときに、すでにボブと呼ばれていた可能性があります!!
以上のことから考察すると、川井選手がボブと呼ばれ始めたのは、大学のころからだと思われます!!
キャプテンのボブも調べたのですが、顔はわかりませんでした!
城西大学の先輩が川井選手にボブと名付けたということは、川井選手とキャプテンのボブは似ていたので、川井選手にキャプテンのボブからとってボブと命名した可能性が高いですね!
いかがでしたか?
川井選手がボブと呼ばれている由来は、大学の先輩が「漫画のキャプテンのボブに似ている」と命名したからのようです!
大学の先輩が命名をしたことから、川井選手がボブと呼ばれ始めたのは大学からであると考えられます!
先輩って誰なのか?キャプテンのボブってどんな顔なのか?については、情報がわかりしだい、こちらに追記をしたいと思います!!
ありがとうございました!!
~川井貴志~
<通算成績>
実働14年 規定投球回到達0年
559試合 525イニング
26勝 24敗 27セーブ 防御率4.06
<キャリアハイ>
78試合 68イニング
1勝 2敗 3セーブ 防御率3.44
<年度別成績>