牧野塁(オリックス現役/投手/Aランク)
河野昌人(カープ現役/投手/Aランク)
やきゅつく2においてもっとも地味な存在、それは スタミナC 回復Aの中継ぎ投手 だと思っています。
スタミナC、回復Aであれば基本的には抑えですが、抑えはわずか2枠しかありません。
その場合は中継ぎの5枠に入りますが、中継ぎはだいたい以下のような役割に分かれる気がしています。
勝ちパターン×2枠・・・先発候補or左投手
負け試合のロングリリーフ×1枠・・・体力バカ
出番なし×1枠・・・若手orベテラン
そして上記に当てはまらない、よくわからない役割×1枠。
多くても30試合ほどの登板で、防御率は2~5点台とムラがあり、良からず、悪からずの非常に地味な存在となります。
この1枠に、なぜかスタミナC、回復Aの選手が収まることが多かったのです。
その代表格が、 牧野塁 投手 と 河野昌人 投手 でした。
現実での牧野投手は4球団を細々と渡り歩き、たまに先発もするけどいまいち頼りない投手、というイメージでした。
ただ17年間も現役生活を送ったことはすごいですね。
阪神、広島にもトレードで求められての移籍だったので、一皮むけさえすれば、という評価だったのだと思います。
河野投手は主に広島で活躍、シドニー五輪の代表に選ばれたり、若くして抑えを任された時期もありましたが、安定感に乏しく、長続きしませんでした。
高卒2年目から一軍で投げていた選手が、26歳という若さで引退するということに、プロの厳しさを感じたものです。
また非常に残念なことに、2017年6月に39歳という若さでお亡くなりになっています。
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まず牧野投手は新世紀171年に入団します。
決して高い能力ではありませんでしたが、30イニング弱で防御率は3点台を記録します。
迎えた5年目、前年に守護神がFAで退団し、後任の守護神候補 小林雅英投手(ロッテ)がまだ育っていなかったため、暫定的に守護神になります。
すると16セーブで防御率2.85と、期待以上の活躍をしてくれました。
翌年からは既定路線として小林投手が抑えに定着し、牧野投手は中継ぎに戻ります。
そこからは毎年30試合前後に登板し、良い年は防御率3.13を記録しましたが、翌年には6.07と安定感がなく、まさにスタミナC、回復Aにありがちな、よくわからない枠、成績に収まります。
そして14年目オフ、39試合、26イニングで防御率4.21という成績で、FAにより退団。
抑え枠ではないスタミナC、回復Aはこれが限界なのかと、無力感を味わったものです。
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そんな牧野投手の苦い記憶も薄れてきた新世紀249年、河野投手が入団します。
意外と安定感のあった牧野投手と違い、安定感に乏しい河野投手。
5年目に抑え枠で52試合に登板しますが防御率は6.00とかなり悪く、そこからはいつものよくわからない枠に。
毎年20試合前後の登板に留まり、牧野投手の記憶が蘇ります。
河野選手もそういう運命かと諦めかけたそのときでした。
入団13年目、河野投手は、先発に適性を見せたのです。
13年目から3年連続で100イニング、2年連続9勝、4年連続防御率3点台と、なかなか渋い活躍。
スタミナがCなのでもっても5回まででしたが、試合は十分につくってくれたので、非常に助かりました。
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河野投手のまさかの活躍により、牧野投手をはじめとするイマイチ活躍できなかったスタミナC、回復Aの投手たちも、すこしは浮かばれた気がします。
スタミナCでも先発で活躍しようがあることをもっと早く知っていれば、あの里見貴久投手も、もう少し輝いたかも・・・
いや、ないな。
~牧野塁~
<通算成績>
実働14年 守護神1年
439試合 417イニング
29勝 28敗 38セーブ 防御率4.80
<キャリアハイ>
36試合 41イニング
3勝 5敗 18セーブ 防御率2.85
<年度別成績>
~河野昌人~
<通算成績>
実働18年 規定投球回数到達0回
481試合 755イニング
51勝 25敗 12セーブ 防御率4.17
<キャリアハイ>
34試合 111イニング
9勝 2敗 0セーブ 防御率3.57
<年度別成績>