ここまでありがとうございました♪
この大会は第60回大会です。なぜこれを取り上げたのかというと、前にもお伝えした通り、ここから全ての都道府県から必ず代表校が出るようになったということ。もう一つは地元校が話題になったということです。
令和5年の今は、第105回大会が実施されました。心に残してほしいのは、どの大会のどの学校の選手も、その瞬間はそのルールの中で勝利を目指したということです。昔の試合だから技術的に楽、とかではない、今はイニング制限や投球数制限があるから楽、ではないです。また、大会は脈々とつながっています。この歴史の重みが甲子園だと思います。
さて、今回は補足として二つ
①出場校の名称変更と②高校日本代表です。
では順に
①出場校の名称変更
南北海道 東海大四 → 東海大札幌
山形 鶴商学園 → 鶴岡東
愛知 中京 → 中京大中京
京都 京都商 → 京都先端科学大学付
大阪 PL学園 → 野球部が高野連脱退
熊本 熊本工大 → 文徳
熊本県は文徳であれば有名ですね。
この時は熊本工大高でした。
②高校日本代表について
しばらく日本は世界大会に参加していません。甲子園を前面に出していたからです。ですが、上位団体から勧告を受け、現在は参加し、しかも令和5年、世界で初優勝を成し遂げました。
すばらしいことです。
と、いうわけでこの当時は世界と戦うための日本代表ではなく、韓国や台湾、ハワイとの交流戦としての日本代表を、派遣したりきてもらったりしてました。そのメンバーと結果を簡単にまとめます。
監督
鶴岡 泰 PL学園
投手
西田慎次 PL学園
森浩二 高知商
津田恒美 南陽工
高松直志 能代
捕手
木戸克彦 PL学園
坂上博文 高知商
綾野富夫 岡山東商
内野手
山西徹 PL学園
明神茂行 高知商
森田洋生 高知商
山中茂直 中京
北野敏史 箕島
外野手
谷松浩之 PL学園
柳川明弘 PL学園
栗岡英智 中京
武乗隆 岡山東商
以上16名、投手の少なさはなんでしょうね?
試合は韓国遠征でした。
第一試合
日 本 001 000 200 3
韓 国 010 100 000 2
日本:高松→津田、本塁打:谷松
第二試合
日 本 000 000 000 0
韓 国 000 020 00X 2
日本:森→津田
第三試合
日 本 000 000 000 0
韓 国 010 000 00X 1
日本:津田→高松
1試合目と三試合目は先発と抑えを逆にしてますね。西田は打者に専念、実質津田と高松で挑んだ日韓戦でした。
打線は繋がる前に終わっちゃいましたね。
もちろんご存知かと思いますが、南陽工の津田恒美さんは、広島東洋カープの『炎のストッパー』です。プロ入りしてから名前を津田恒実とされましたが、本名は恒美です。高校生は恒美表記ですので誤植ではありません。以上です。