鹿児島見聞録・・・その8 知覧特攻平和会館を訪れて 前篇 | 世界自然遺産「屋久島」ライフ

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屋久島の大自然と日常を写真で紹介しています。

いよいよ鹿児島見聞録の中心、特攻博物館。

知覧町の旧陸軍特別攻撃隊知覧基地跡の特攻平和会館へ念願叶って行って来ました。

父や祖母から幾度と話しを聞いて来た戦時中の話し、辛い経験や出来事を活字や写真で体験しました。

祖母の話しでは家の近くの畑に特攻機が墜落して憲兵さんが調べに来た事などを聞きました。

特攻会館では屋久島の安房へ墜落した特攻機の事も資料として見つけました。

東京大空襲が戦後の戦争のイメージとして強いですが、沖縄や鹿児島県も終戦前は物凄い戦火だった様子です。

鹿児島県の奄美大島もアメリカに沖縄同様占領され日本への帰属も私が産れた頃です。

また屋久島近海には戦艦大和も沈んでおり、屋久島のダイビングスポットにはゼロ戦の沈んだポイントもあり、また戦中には沢山の基地もあった様で鹿児島には戦前の歴史的建造物は殆どありません。

凄まじい戦火だったんでしょう。


今回は前篇と後編に分け前篇を平和会館や特攻の様子、後編を特攻兵の遺書で構成します。

少し重い話題ですが丁度今時期に日本の礎の為散って若者の歴史を伝えてみたいと思います。


屋久島人の日記


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実は私の実弟がこの知覧町にある薩南工業高校を卒業してます、また私の同級生や先輩、後輩も同校を卒業する者がいます。

この高校の寮生は日曜日にこの施設の清掃活動をしていたそうでよく聞きました。

そんな少しだけ縁のある場所、また縁のある地に生まれ育ったので幼少からななり引き付けられる場所でした、今回念願叶って行く事が出来ました。


屋久島人の日記


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実話やエピソードをもとに様々な映画が製作されました、「俺は、君のためにこそ死にに行く」や

「男たちの大和」などなど。

特攻兵の生き残りの方や戦艦大和の生き残りの方、またこの基地近くの食堂のお母さん、鳥島トメさんの談話を元に映画や本にされて現代に残されています。

戦争その物が良い物とも思いませんし戦争そのものは日本の歴史的にも世界史的にも賛美されるものでは無いと思います。

ただ日本の未来、家族の未来、愛する人の未来を護りたくて自分の命を自ら犠牲にした戦争の被害者青年達を賛美するのに躊躇いや避難される理由は無く、またその礎でこの幸せな日本と言う国で生きてる現代の人々が彼らの勇気と志を敬う事を忘れる事は悲しい事と思います。

そんな事を伝えたくて・・・重く受け止めなくても良いと思いますが、私たちの父母達や祖父母達の時代の近い時代の悲しい出来事です。

遠い時代の遠い国の出来事では無いと理解して欲しいと思います。


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館内は撮影禁止でしたので書籍を購入してきました、ゆっくり読もうと思い購入しました。

今回の内容はこの書籍より抜粋します。

また次回正式に撮影許可申請して行き皆さん館内の様子も紹介したいと思います。


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三角兵舎と呼ばれる敷地内の兵舎での様子

別れの盃をかわし尾翼に「必沈」の文字を刻み、訣別、20分前の食事を取って女学生に見送られて旅だったそうです。


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出撃極秘事項の為直前に伝えられるそうです。

それまでは厳しい訓練に耐えつつも心穏やかな日常もあったようです。

館内で見た写真には右下の仔犬を抱いた兵士の写真を数多く見ました、仔犬の小さな命にも安らぎ、自分のいない未来を見てたんでしょうね。

日の丸に寄せ書きを書く写真も沢山見ました、書きながら何を思ったんでしょうね。

まだ十代の少年が大半です。


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実際に使用され墜落した特攻機体、鹿児島県甑島で昭和55年に引き上げられました。


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引き揚げられる1年前に海中で発見された機体と引き揚げの様子。

海水から上げた途端に腐食します、こんなに綺麗に清掃されて大事に展示されてます。


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97式、98式、99式襲撃機

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1式、2式、3式、4式の戦闘機

実は終戦前には3式の飛燕のエンジンを空冷タイプに載せ替えた5式Gあります。

終戦直前で正式機体とされませんでしたが実践で活躍してます。


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3式戦闘機 飛燕

海外より購入しライセンス契約により日本で初量産された液冷式のエンジン。

性能はかなり良かったみたいですが日本の技術では液冷エンジンの複雑な構造の量産は難しくトナブルばかりでそのポテンシャルが発揮出来ずに終わった機体です。

その要因のもう一つが燃料です、アメリカにより日本は原油を止められ質の良い燃料が準備出来ずオク単価の低い質の悪い燃料の為性能が出なかった様です。

他の戦闘機と比べ頭が鋭く空気抵抗が低い事が一目瞭然です。

最高速度590キロ


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4式戦闘機 疾風

特攻機は主翼の下に大きな爆弾と燃料を積んでます、両翼の片方が爆弾、もう片方が燃料なんです。

両方爆弾に見えますがこの時代の戦闘機は飛行距離が800キロ程。

満タンの燃料と爆弾を搭載すると重く高度を上げたり出来ません、誘導機や偵察機がついた様です。

先頭を誘導する機体、後方を護る機体、高い高度から敵機を哨戒する機体で構成された様です。

その役目を担った機体です。


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実は沢山あった特攻基地

九州、喜界島、徳之島、沖縄、宮古、石垣、台湾と数多くの基地を特攻基地とその後した様です。

徳之島の特攻基地のお話し聞いた事があります。


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各基地で亡くなった特攻兵と出撃数

戦闘機の型式名の97式などは皇紀と呼ばれる年号。

天皇を護る軍なので皇紀が用いられたんでしょうね、皇紀元年は神武天皇が日本書紀で即位した年でその下2桁

97式は皇紀2597年なので下2桁の97年式となるそうです。


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後編では特攻隊員の遺書を中心に紹介させて頂きます。

沢山の遺書や寄せ書き、手紙などが展示されてました。


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