鹿児島見聞録・・・その3 都城島津家 | 世界自然遺産「屋久島」ライフ

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屋久島の大自然と日常を写真で紹介しています。

鹿児島藩の大名家、島津家。

島津家には分家が沢山あり鹿児島県から宮崎県までまたがります。

その中の霧島に近い宮崎県都城市にある都城島津邸を訪ねてみました。


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島津家発祥の地、宮崎県都城市。


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都城島津邸を訪れました、島津宗家発祥の地


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丸に十の字の島津家。

でも各島津家で微妙に家紋が違うんです、都城島津家は丸と十が繋がって無く離れてる家紋なんです。


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島津家系譜


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都城は島津と呼ばれる地で大宰府の役人平季基が治め藤原頼道にかの地を献上したそうです。

後に源頼朝が惟宗忠久に統治を指示し忠久がこの地の名より島津忠久と名乗ったのが島津本宗家の始まりだそうです。

後にこの地は庄内と呼ばれ庄内の乱の舞台となってます。


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島津家からは女性では仁徳天皇の后髪長姫や徳川家の正室篤姫や前皇后様、昭和天皇の后様も島津家の方です、数多くのトップレディーを排出してるんですね。

中央との関係が深いのも島津家の特徴です。

また薩摩藩からは幕末の志士や明治維新の功労者を多く輩出した土地柄で少年期の教育が盛んだったそうです。

西郷隆盛の系譜には競馬界の天才武豊さんもいます。


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古事記や日本書紀に記される天孫降臨の地や日向神話舞台になる地でも有名な地です。

イザナギノミコトとイザナミノミコトが天の沼矛で造ったのがオノコロ島で、後に造り出した島々が大八島国です、近代では天の沼矛を天の逆鱗と言い坂本竜馬もこの逆鱗に新婚旅行で訪れたそうです。


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島津家は鹿児島だけでなく宮崎、熊本大分などと九州全域を戦により領地とし北上、豊臣秀吉軍との合戦に敗れ九州全制圧の夢を絶たれたとの事。

九州随一の勢力を誇る大大名だったんですね。


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そんな歴史のお勉強が出来るのは都城島津伝承館、内観撮影禁止です。


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なので買いました。


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都城島津邸


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昭和の時代に改築された様です。


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入り口で鎧がお出迎え


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玄関口直ぐの客間は昭和の香り漂う落ち着いた雰囲気でした。


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建物も落ち着いた感じでとても広く旅館の様です。


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お庭も素晴らしく美しい日本庭園です。


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昭和天皇様がご宿泊になられたそうです、多分この時と思いますが屋久島を訪れ滞在されています。

皇后様はこの島津家のご出身ですから。


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改築前の写真も展示されてます、また両陛下の従者達のお部屋やお風呂など様々なお部屋も公開されてました。


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この鏡台に皇后様のお姿が写ったんでしょうね。


オマケの写真

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庭内にあった自動販売機、宮崎色強い感じが面白いですよね。

上段はご当地飲料ですよね。



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