皆さんはキリスト教と仏教の違いと類似点についてどうお考えですか?

 

新約聖書を主体とするキリスト教はひたすら神を信じなさい、そして貧しい者や困っている者を助け、善行を行ないなさいと謳っています。キリストがエルサレムに向かう道中、両目の見えない人達やライ病にかかった人達を治療し、死んだと思われた人達を復活させる奇跡を起こしたことで、キリストの神格性及び自然超越性を強調しています。旧約聖書はユダヤ人の歴史書なので、我々とは無縁。よって割愛します。

 

この世の中には一般人の理解を超えた超能力を持つ人々が本当に存在しますので、キリストが様々な奇跡を起こしたことは不思議ではありません。唯、死人を蘇らせたというのは、当時横たわっていた人がどのような状態で何が原因で死んだと思われたのか証明できませんので、何とも言えません。

 

キリスト教は「神」を絶対的な存在とし、「神」が遣わしたJesusを信仰するものです。そうすれば、死後、Jesus同様に神の国に行けるというものです。以上より、魂の安寧を得る為に神を信じるという他力本願的な側面もあります。また、キリスト教においては、悔い改めれば過去の過ちは許され人生を再出発できる、神を信じ前向きに生きなさいと謳っています。とにかく、人生をポジティブに生きるべきと促します。

 

他方、仏教は般若心経に代表される如く、この世の人ひとりひとりが真理の求道者であり、この世の本質を悟ることができれば魂の安寧を得るというものです。多くの人が誤解しているのではと思いますが、観音菩薩とか千手観音とかを拝んでもそれらは全て求道者の状態を象徴しているもので、究極的には自分自身の悟りが重要です。菩薩は菩提薩埵(ボーディサットヴァ)即ち「悟りを求める者」の意味です。その悟りを得た代表者が釈尊(ゴータマ・シッダールタ)ですね。

 

また、仏教に於いてはこの世の形あるものは因縁によって存在し、未来永劫存続するものはなく必ずや変化する。生まれることも滅することもない(不生不滅)。老いて死ぬこともないし、老いて死ぬことが無くなることもない(無老死、無老死尽)、増えもしないし減りもしない(不増不減)。つまり、この世の中及び人の生涯は、常に変化するが為に最終的にバランスがとれているという思想だと理解しています。

 

従い、仏教において善行や戒律は全て自分の悟りを完成させる為であり、真の悟りを得られれば死や病の苦しみに悩むこともなく、死を怖れることもない。とにかく、現世をしっかり生きろ!というところに仏教の本質があると筆者は理解しています。仏教は自分を高める為の宗教。般若波羅蜜多(パンニャパーラミター)即ち「知恵の完成(=悟り)」は人生の根幹かもしれませんね。

 

それにしても、悪いことをするとやれ地獄に落ちるとか、信仰とは怖いものですね。