突然ですが、世界共通の価値観を確立することは極めて困難だと感じます。つい先週、イスラエル某社と韓国某社との仕事において気づいたことをお話します。

 

韓国の某氏は元韓国大手建機会社の社員。現在はご自身で商社を経営しています。私が総合商社時代にお付き合いしていたパートナーは日本国内外を含めその殆どが大手企業ばかりでした。ですから、彼の様なやり方には疑問を持ったのでした。彼は自分の会社の素性を一切明かさないにも拘わらず、イスラエルの技術が欲しいから直ぐMOU(まあ、覚書ですね)を締結したいの一点張り。よくよく話を聞くと、主目的はイスラエルのパートナーが開発した先進技術の獲得。ひと昔前の中国を彷彿させます。やはり、韓国企業は中国同様に技術が欲しいのですね。

 

他方、イスラエルの企業も技術オタクで、商業実績もない技術つまり経済性の有無を検証できていない技術をライセンス契約を締結してとにかく海外の有力メーカーに有償で提供し、それで儲けようという考えです。自分達のことしか見えない、いや、見ようとしない。まるで昔のユダヤの律法学者のような人達です。

 

日ユ同祖論を唱える人達がいますが、長い人類の歴史において世界じゅうで様々な文化や習慣が入り混じっており、取り立ててユダヤ人と日本人が同根なのだという意味は全くないですね。自分達を特別視したいという願望論でしかないと思います。それを言い出したら、中国大陸や朝鮮半島からの影響はもっと大きいでしょう。人が移動すれば、文化も宗教も言語も伝播します。

 

唯、これだけ世界各国の人々が交流し、政治・経済・文化・外交面など様々な領域において接触せざるえない中で、やはり重要なのは国際ルール、国際マナーつまり「共通の価値観」を確立できるか否かです。世界全体で共有できる「価値観の基準」です。

 

今の世界はアメリカや英国を中心としたスタンダードに支配されています。特に欧州は歴史的にも民族的にも繋がっており、同じ域内で必ずしも一枚岩とは言えませんが、アメリカ及び欧州連合の価値観を規範としています。戦後の我が国もその一員に入っています。然しながら、アメリカ及び欧州のスタンダードが本当に優れているのか?全世界で共有できるものなのか?という観点から言えば、それは「No」です。我が国は所謂「欧米スタンダード」に従っていますが、実は我が国のスタンダードの方がもっと優れていると思うのです。例えば、健康保険制度。アメリカの健康保険制度は中間所得者層以上でないと享受できません。また、「おもてなし」の精神も日本の方が優れています。アメリカや欧州では、チップ=金銭的リターンが「おもてなし」を支えているのです。文化、道徳面でもそうですが、我々日本人が普段暮らしている生活の中で優れた基準、価値観というのは沢山あります。

 

他方、欧米スタンダードに異論を唱えて自国民を犠牲にしているのが中国共産党政府とロシアです。

元々コミンテルンの指導下で組織された中国共産党は、今でこそロシアとは一線を画していますが、ある意味同根。中国政府が確立しようとしている国際スタンダードは中国政府及びそれに追随するアフリカ諸国と中国の資金的支援に期待するBrics諸国しか共有できない「非国際スタンダード」でしかありません。世界の多くの国々にとって受け入れらない「中国スタンダード」でしかありません。ロシアについても同様です。

 

前述のイスラエル某社も同様です。彼らの価値観は誰にも受け入れられないものです。CNNを観ていると、ガザへの支援物資を運んだトラックの進入を阻止しようとしているイスラエル人を報道していました。彼らの主張はイスラエル人同士では価値観を共有できるのでしょうが、世界では全く通用しません。イスラエルと中東は宗教や長い歴史が絡んでくるので一言では表現できませんが、1948年迄「国」が無かったユダヤ人にとって領土を得るためには世界から嫌われようが、キャンプデービッド合意を反故にしょうが、中東戦争をしかけようが何でもアリです。ですから、ハマスが攻め込んで来ると、領土を守る為に必死で戦うのです。本来、今のイスラエルは元々パレスチナ人の土地だったのにです。

 

もし、ムスリム諸国がやれスンニ派だ、シーア派だと分裂せずに一致団結していたらこの様なことにはならなかったでしょうね。アフリカ諸国を見ても、コートジボワールの様に元フランス植民地であった国は表向きはとても豊かです。然しながら、一歩裏に入るとムスリム居住区があり、皆貧困にあえいでいます。全世界を見渡した時、UAE、カタール、サウジ以外のムスリム国家は貧しい人達が多く、犯罪も多いのです。また、独裁国家も多数あります。社会主義国・共産主義国も同様に貧富の差が大きく、特権階級と一般庶民に完全に分かれています。そして、独裁国家が殆どですね。

 

ですから、全世界に共通する価値観を確立することは、極めて難しいことなのだと思います。