○○ロスという言葉が常用されるようになったのはここ何年かですが、
私はこの「○○ロス」に対する恐怖心が比較的強い人間だと自覚していて、
ロスになるのが怖くて動けなくなることがままあるのですが、
その幾つかある中で、
「物語の終わりを見てしまうこと」は私にとって非常に怖いことの代表格でして。
好きなもの、その期間楽しみに過ごしていたものであればあるほど、その終わり「最終回」を見るのにものすごい勇気が必要で、
最終回なんて、言ってしまえばまぁ最終回なんだから大抵がどんなものでもまるっと上手くまとまるもので、さほど想定の範疇を超えてこないわけだから、内容というかその顛末にドキドキが止まらないわけではなく(失礼か。いやディスってるわけではなく再放送とか終わりを知っているものでもそうなので)、
「最終回」というそれそのものに対して、
これを見てしまったら、見終わったその時点でもうこの物語は完結してしまう…!と思うと、心が騒ついて騒ついてわしゃもうブルブルじゃ(上州屋こんにゃくか。)←誰が分かるん。※https://m.youtube.com/watch?v=bLBu0arWps8参照
となるのが怖くて、結果、最終回だけ寝かせたりする。ざっと1クールくらい。(長いわ)
映画なんかもそれ単体だとあんまりそんな感じはしないけど、シリーズものになると完結編はなかなか見れないままでいることが多い。
アンフェア the endも録画したまま見てないしなー。それで言うとHEROも信長協奏曲もあと深夜食堂もだ。見なきゃなー。(いつか)
終わってしまうのが嫌でクリア直前で止めた(そしてもうやらないであろう)ゲームもあるし。
本も漫画なんかは割と一気に読んでしまうけど、小説とかは一気に読めないようにわざと何冊か掛け持ちしてちまちま読んだりなんかして。
何事も始まりがあれば必ず終わりがあるわけで、
永遠に続いたらそれはそれでダレて飽きるのだろうし、
腹八分目で終わるのが一番なのですが、
心の拠り所にしていたものがひとつまたひとつとなくなることは、
やっぱりたまらなく怖い。
と考えれば私がもうひとつたりとも傷つきたくなくて幾つかあるだろう選択肢を全て放棄したのも、私の性質からしたら順当で必然なのだなとやたら納得したのですが。
ペットなんて絶対飼えない。
欲しいけど。飼いたいけど猫。
でもあぁ無理だなぁ。無理か。無理だなぁ。
そして明日、
ひとつの終わりを迎えます。
今から、違うな、一昨日?いや一昨々日の朝からずっとこのロスに怯えてます。
あぁこの感覚、嫌だなぁ。