こんばんは。
今日はこれから夜間作業のため
本来は寝る時間なのですが、
為末さんのTwitterを読み返してたらこんな時間になってしまいました。
為末大 さん
元陸上のハードルの選手で
http://camp-fire.jp/projects/view/329
こんな活動をしてる人です。
物事の本質について「考える」ことのできる人。
彼のTweetで印象に残っているものがあるので1つ紹介したいと思います。
あるAとBの国のお話し。
昔あるAという国とBという国があって、双方とも大陸側と島側両方に領土があり、大陸と島を定期便が1週間に一回行き来していました。
ある日両国が戦争状態になったのだけど、その定期便が来るまで島の中はその事を知らなくて、一週間経ってようやく便が来て、お互いが臨戦体制に入ったのです。
戦争状態になって1週間島の人々は全く何も知らずに生活していました。たぶん交流もあって平和にやってたんでしょう。
それがある日お互い敵同士になりましたと言って身構える。この大陸とはずれた一週間てなにかおかしいですよね。
一週間島民はお互いが敵同士になった事を知りませんでした。大陸側では敵同士となって戦っています。一体どちらがバーチャルで、どちらが本物なのか。
たぶん今でも似たような事はある。反ユダヤの若者が実は自分のルーツがユダヤ教徒だと知った時自分はどちら側だと判断するのか?
たぶん私達は全ての情報は知りえていないでしょう。そうなると多かれ少なかれ一週間ずれた島民と似た状態にいます。
必死で自分という存在がどの文脈に属して、その文脈は今どう動いているかを知ろうとするけれど完全には知り得なくて、当然のようにあっちとこっちを分けているけどそれはとても脆い
自分は元々そうであったという文脈を私達は求めている。実際にそうだというよりも、たぶんそう考えて捉えないと自分なんて感覚が生まれ無いんじゃないか?
今までも自分でこれからも自分だという根拠なんて何もない。精神疾患の本で今が連続するという表現が出てくる。文脈の欠如。
【終わり】ある日記憶喪失になって、敵国の病院で身元を知られず目を覚ましたら、私達はきっと同じ情熱を持って自国を攻めるでしょう。
僕は自分が持っている文脈がそんなものでしかないような気がして、世の中にある争いや出来事がとてもバーチャルに感じられるときがある。
って話し。
もし記憶喪失になったら、目覚めた時の環境によって僕らは全く違う自分になってしまうかも
自分が知ってる自分がこれからどうなるか分からないのなら、
これからの自分を決めるとき、今までの文脈はそんなに気にしなくていいんじゃないかと思います。
記憶喪失になったつもりでなりたい自分になっちゃいましょうw