本題に入る前に、記憶を辿って話はあちこち飛躍する…
母は今もエホバの証人をやっている。
私がエホバの証人をやめた時期は…
はっきり覚えていないが、小学校高学年までにフェードアウトしたと思う。
その前に、私が5,6歳の頃。
夜の集会に行く時は、母・妹はママチャリ、私は自分の自転車を漕いで母の後ろをついて行っていたそう。
ある日ふと「こんな小さい子に、私何させてるんだろう…」と思い、夜の集会はやめたと言っていた。
それ以降は昼間の姉妹たちとの聖書研究や、あと大会や記念式に行った記憶もある。
小学校高学年にはもう自然に行かなくなった。
姉妹が家に来れば話はするが、聖書の勉強はあまりした記憶がない。
そして、その頃から“懲らしめのホース“や体罰も減っていった。
小さい時はすぐに「お仕置きする!!お尻出しなさい!」が日常だった。
言うこと聞かない、きょうだい喧嘩、出先で母を怒らせたなど等…
小学校高学年には体も大きくなって力尽くで抵抗するようになり、母も「もう勝てない」と思ってやめたらしい。
記憶にはないが、私のこの性格だから反抗ついでにやり返したり、相当抵抗したと思う(笑)
ただ、聖書研究をやめた=母の独裁主義がなくなった訳ではない。
マイルールや考え方は相変わらず。
力で勝てなかった小さいうちに散々暴力で支配・洗脳された。
今自分も親になって思うのは、子供は親(特に一緒にいる時間の長い母親)が全て。
良くも悪くも親を見て育つ。
現在は結婚して家を出たこともあり、必然的な距離が取れるようになり、母も年と共に随分丸くなった。
(それでも元の性格がアレなので、今でも閉口するような発言は健在。)
私がやめたあとから現在まで、母がエホバの証人を勝手にやる分には何とも思っていなかった。
集会で夜いないときは寧ろ平和だったし、バプテスマを受けたと聞いたときも「ふーん。」と思っただけ。
そして本題。
2年ほど前、実家に帰ったときのこと。
夕食のあと、「リモート(の集会)があるから〜」とパソコンの部屋に消えて行った母。
私もその部屋に用事があったので、聞き耳を立てていると…
「神のために」
「◯◯すれば神にとって…」
「どうすれば神のために…」
神のため神のためって、この人たち他人(しかも存在するかも不明なヤツ)のために生きてるの!?
みんないい年して、自分の意思ないの?
神のためによい行動するの?
自分がこうしたいからこうする、っていうのはないの?
大人になってこの人たちのやりとりをまともに聞いてみて、衝撃だった。
そして全員標準語で話しているのも(近畿地方)「気持ち悪…」と思った(笑)
母は自分で「私はエセ証人だ」と言う。
酒は飲むし、言葉遣いは悪いし、金遣いも荒い、人の悪口は言いまくり。
その辺の世の人の方がずっと真面目(笑)
今は教義がどうか知らないが(教義は都合のいいようにコロコロ変わるらしい)、昔はTVも制限されたのに、今自分はガンガン見てるし、芸能人も私より遥かに知っている。
神のため!って、母はエセだから本気で思っていないだろうが、何が楽しくて毎週毎週エホバの証人に会って勉強してるんだろうっていうのは、ずっと思っていた。
私より過酷な元JW二世の方のブログを読んで、『きっとここまで色んなことを犠牲にしてやってきた以上、もう後戻りできないだけなのではないか』と書かれており、きっと母もそうだと確信した。
知り合いのほとんどがエホバの証人だし、近所にもゴロゴロいるし、もう切っても切れないんだろう。
あかんたれで小心者の母だから、今更やめるなんて無理なはず。
本当にちょっと前までは何とも思わなかったけど、やっぱりカルト集団なんて言われている所に、自分の親が入っているなんてなぁ…
自分はもちろん、子供、夫、家族のために生きる。
自分で選択して、自分が楽しむために生きればいいのに。