さてと本日は前回に引き続き、所沢市の再探索のお話をしたいと思います。
本日の掲載写真も一部を除き、Nikon Z50で撮影したものです (๑・̑◡・̑๑)
さて、今回探索する場所は下記の地図の丸の中の
有楽町界隈でっす ( ^ω^ )
この界隈には未だに私的に優良物件が数多く残っていて、ワクワクする場所だったりしますっ‼️
まずは満腹りんにしてもらった『中華料理・栄華』さんからほど近い、こちらの盃横丁から・・・
横丁は全体的に古い建屋がないのですが、通路にはぼんぼりや加山雄三主演の若大将シリーズの映画ポスターが貼ってあったりと、レトロ感の演出に余念がありません。
何と質屋の文字が・・・
昔は今みたいな無担保で現金を融通してくれるシステムはなかったので、質草を入れて都合をつけ、入れた質草が流れる(融資期限)前に現金と引き換えに引き取るというシステムだったんですよ〜っ。
当然払えなければ、質草(担保)は店主のものになるので損はしないという仕掛け・・・
なので昔は質屋を営む家は分限者(ぶげんしゃ:金持ちという意味)とよく言ったもので、品物を信用という担保で割賦(かっぷ)で購入したり、同じく現金の借入が出来る現在と形態こそ違いがありますが、どちらにしても借りたものが損をするシステムの根幹は未来永劫変わらないのでっす‼️
なんて考えながら歩いていると、東川に架かる鳥居橋(とりゐはし)が出てきたので、
この橋の先が今回の探索地である有楽町となりまっす ヽ(´o`;
同行してくれた友人の話ではたまに大暴れをするようで、川沿いは桜の名所としても知られているらしく、大規模な護岸工事は行わずに地下にもう一本のトンネルを掘って増水に対応しているそうです。
二間の木戸が未だに現役の木造住宅を発見‼️
建物入り口まで伸びる石畳が未だ現役で、中層マンション群に囲まれて日照不足は否めませんが、『まだまだ現役だぞっ‼️』というオーラーが全開でした ヽ(´ー`)
いやいや、実に素晴らしい‼️
此方の角地の木造モルタル造の中華料理屋さんにも行ってみたいのですが、
営業しているか不明で、私が行く週末はシャッターが開くことはありません・・・
れっきとした木造集合住宅なのでっす‼️
物干し竿を受け付けないベランダの作りは、まさに昭和40年台のアパートそのもの・・・
こんな洗濯物の干し方はうん十年ぶりに見ましたが、やはりそれを強要する建物そのものが残っているということが貴重であり、この光景があと何年見られるのかが楽しみでっす。
此方は東川沿いから航空公園方面を望んだ写真なのですが、どうやらなだらかな段丘だと思われ、意外にも平地だと思っていた所沢でこんな風景を観るなんてちょっと不思議な感じがします・・・
此方は今回是非見ておきたかった深井醤油さん。正直な話、まるで魅力のない風景・・・
新たにオープンするそうです ( ´Д`)y━・~~
そんなマンションの基部の脇には、激渋の着物屋さん今でもしっかり営業中‼️
此方は市営の駐車場。
前述の市営駐車場の問い面には下記の写真のような坂があり、県道6号(銀座通り)や有楽町界隈は、先程の航空公園方面の登り坂と此方の所沢駅方面の登り坂の二つに囲まれた長細い低地だということがなんとなく分かりました・・・
さて、日もだいぶ傾いてきたので、所沢方面へ戻ろうとした矢先、何やら時代を感じさせる私的超優良物件を視認‼️
昔は何らかの商いをしていたのでしょうが、私が調べた範疇では答えを得ることが出来ませんでした (・ω・)
それにしても奥に長い・・・
軽い傾斜地に合わせるように軒の低い壁が続く風景は、
まったりとした空気が流れるこの場所も、見上げればマンション群に囲まれて陽も当たらず、
よく見ると木戸には五代家紋の一つである『丸に違い鷹の羽』がありますが、これは明治以降に庶民階級にも許された苗字・家紋制度の結果であり、あまり意味がなかったりするんですよ ヽ(´o`;
部分的に改修はされていたようですが、コンディションとしてはすでに限界を迎えているようで、酸化や木材の腐敗も始まってきているようです・・・
通りに面した店の軒先裏には銅板が加工が施されていて緑青が吹いておりますが、今これだけ銅板をふんだん使ったら資金がいくらあっても足りませんが、当時は腐食制御をする為の大切な部材だったんでしょう。
プロペ通り周辺のスーパーが相次いで閉店して買い物に困っていると『中華料理・栄華』の女将さんも言っていたので、『深井醤油』さんの仕込み蔵がなくなってしまったのはとても残念ですが、
それにしても私の地元である武蔵小杉周辺のU pper50階以上のマンションを見慣れているからかもしれませんが、地盤のが理由なのか中途半端な高さマンションしかないのも所沢のマンション群の特徴・・・
和洋折衷感がヒシヒシと伝わる絵面、現在の所沢を象徴するようです‼️
平置き、有人対応と北関東の田舎の風景ですが、周りをマンションに囲まれていて陽が当たらないのが地方との差異かなぁ。
この手の行政施設を見ると、既存住宅を壊してマンション化するのは行政指導ではなく、個々のデベロッパーによるものだと確信しちゃいます。
間口はさほど大きくないものの鰻の寝床のように奥が長そうなので、早速調査開始‼️
タイムスリップしてしまったかのようで、ちょっぴりドキドキしちゃいます (๑˃̵ᴗ˂̵)
見事な傾斜を有するこの塀ですが、身長180センチオーバーの私の視線はこんな感じで、塀が全然目隠しとなっていないのですが、昔(明治時代)の日本人男子の平均身長は157糎、女性は147糎で、この塀でも十分に目隠しの役割をはたしていたと考えられます。
昼尚薄暗く、この手の場所が苦手な方には酷な場所かもしれませんが、私的なは本当に素晴らしい建屋で、是非とも所沢市行政に購入&保存展示して頂きたい歴史的建造物だと思います。
それにしても素晴らしいの一言に尽きます
(๑>◡<๑)
それにしても谷間の中のような有楽町界隈がちょっと気になったので、家に帰ってから机上調査を行い分かったことが、所沢市の標高が思った以上に高い事でした。
因みに私の住む神奈川県川崎市中原区にある武蔵小杉駅界隈の標高は、
下記写真の左下にある狭山丘陵から東西になだらかに下る谷間のような高低図から推測するに、
地質的には砂や砂岩や砂礫岩といった脆い地質だと思われ、前出の中層マンションの建設には緻密な地質調査が行われていると思います。
しっかし、
高低差のある街は本当に楽しい〜っ‼️
また、本件には直接関係ありませんが、前出の狭山丘陵は私の家のそばを流れる多摩川が大昔に武蔵野台地で大暴れしていた時の削り残しだと言われております・・・
まぁ、私は所沢には一生住むことは無いですが、少し歩けば表情がガラリと変わるこの街の風景は、まだまだ昭和の香りが漂う素晴らしい街だと思います (๑・̑◡・̑๑)
唯一残念だと感じることは、財政的に厳しい所沢市行政が古民家の保存に消極的なところかなぁ〜っ・・・
こんな感じで、谷地段丘(多分 ε-(´∀`; ))の所沢市有楽町界隈の探索を終えました・・・
次回は最終回で、
所沢駅周辺界隈の探索レポを書きたいと思っています (๑・̑◡・̑๑)
不定期に続く・・・