何やら暖かな11月最終週・・・
20℃の日もあるようで、小春日和を通り越して春そのもの・・・
昔の11月は皆、外套を着込み寒々とした風景でしたが、やはり日本の亜熱帯化というのはまんざら嘘でもないようです ヽ(´o`;
さて本日は、甲斐国巡見詳細記の2回目となります。
今回からはこのツーリングの本領発揮となるのですが、ちょっと面妖な場所なので、怖いのが嫌いな人は御遠慮してください m(_ _)m
場所は詳しくいえませんが、県道から桃畑に入る細い生活道路の奥にあるこの場所は、
私もだいぶ前に山梨出身の後輩から聞いた話なのですが、江戸時代に実際にあったと言われている呪いに関わる場所。
おむつ塚
因みに下の写真が、一丁田中にあった田安陣屋の跡であります。
辺りは綺麗に整備された桃畑なのですが、この『おむつ塚』辺りは放置されたように空き地になっていて、不思議なことに塚の周りには地蔵尊が積まれ、ヘンテコなところに行っている私も、今まで見たことのない墓(塚)・・・
この塚の由来は以下の通りである。
川沿いに広がる桃畑の一角に、石の地蔵が寄せ集められたような塚がり、これが“おむつ”という名の女性を祀ったおむつ塚で、今でも7月15日にこの塚の前で法要がおこなわれているという。
かつてこの地には、よそから嫁に来る者は前もって地頭(地主)に挨拶に行くという習わしがあった。おむつもそれに従って地頭の屋敷へ挨拶に行った。
この土地の地頭は好色で、美しいおむつを見ると、手籠めにしようと言い寄った。
おむつは抵抗するが、地頭はおむつを軟禁して身を任すことを強要する。
だがおむつが拒絶し続けたために、地頭は拷問に掛け、ついには毒虫などと共に生きたまま土中に埋めてしまったのである。
帰ってこないのを案じたおむつの母親は地頭の屋敷へ赴き、そこで無礼があって手討ちになったと知らされる。
しかし事の真相を悟った母親は、娘の埋められた場所へ行って一掴みの栗の実を撒くと、地頭への呪いの言葉を吐いて絶命した。
この直後から地頭の周囲には怪異が起こり、とうとう家人や身内を斬り殺し、自らも狂死してしまった。そしておむつの祟りを恐れた子孫は塚を建てて、おむつの供養を執りおこなったのである。
しかし明治の終わり頃に、身内同士の財産をめぐる争いから刃傷沙汰を起こして、一族は絶えてしまったという。
さらに一丁田中にある陣屋(田安陣屋)跡の屋敷では、深夜に寝ていると、天井が落ちてくるという怪異が「おむつの祟り」として、大正の頃までまことしやかに噂されていたという。
実際に行ったみて感じた事は、周りに住む方にとって物凄く重要な場所だということ・・・
それともう一つ‼️
バイクを停めた生活道路からおむつ塚までの間は乾いた土がかなりの厚さに堆積していたにも関わらず、足跡が一つもなく雑草すら生えていない事と塚の周りの桃の木だけが枯れ朽ちていた事・・・
人を呪わば穴二つ・・・
今回は改めて人の怒り、怨み、嫉み、嫉妬からくる呪いや呪詛の類は、過去から未来へと永遠に無くなることのない人間のみが持ち続ける感情なんだと感じました ( ˘ω˘ )
本日はこの辺で、
Auf Wiedersehen‼️