愛と結婚は消費者庁案件
『ララの結婚』を読んでからというものの、結婚についての考察が深まりました。
結婚を分類すると、
人前婚……共同体の中で認知されれば成立
神前婚……宗教儀式により成立する、認知の主体が人ではなく神
届出婚……役所に書類を提出することで法的な保護が得られる。人前婚と神前婚が付随する場合もある。
事実婚……生活をともにしている事実によって法的保護が認められる。役所に届出してない。
というのでだいたい網羅できると思うんすよ。
現在、社会的に正式な結婚というのは、届出婚になっているので契約に近くなってます。
どうも突き詰めて考えると、現代における男女の結婚というのは、売春と家政婦とベビーシッターの無期雇用契約でしかなくて、であればお見合いという「面接」でお互いに値踏みするのが契約の仕方として真っ当な気がする。
そこに子供を産めまで入ってくると家畜みたいなもん。
恋愛感情によってこんな奴隷契約が正当化されてるのはレアケース。
悪質ホストが客に恋愛感情を抱かせてクソ高いドンペリをボトルキープさせるのも、売掛金による売買契約で一時的な結婚を繰り返しているとも言える。
なんかこう、結婚もホスト依存も本当は愛の証明がほしいのに、恋愛感情で判断力を失って欲しい物とは違う契約を結んでしまうので、あとでこんなはずじゃなかったと契約トラブルが起こってるだけな気がする。
結婚という契約を消費者庁案件にして調査したら問題点が改善されるかも知んない。
婚姻届を受け取った窓口の職員が「おかしいな」と思って結婚を阻止して表彰されたりすんの。
当事者間の愛が前提になるのは事実婚くらいで、ほかは愛とは違うものなのに勘違いされてるような気がします。
じゃあ愛とは何かといえば、今、現在、現時点という瞬間の肯定です。
今という瞬間が肯定できれば、脳内で愛が生じてどんな過去も肯定できるし、どんな未来も受け入れられる。
悪質ホストに騙されて高いドンペリをボトルキープさせられた客も、その瞬間だけは恋愛感情のピークで幸福につつまれていたと思うんですよ。
店から出た瞬間にすぐに醒めて、お支払いという未来が受け入れられなくなるだけで。
愛はその瞬間なので持続性がないんですよね。
愛と幸福というのも勘違いされがちで、愛で不幸になるというのもあるわけですよ。
愛というのは究極の自己満足です。
不幸によって自己満足が得られるというのもあるわけですよ。
傍目に不幸だけど愛を実感して幸せとかあるし。
愛のために飛び降りて死ぬとか。
高いドンペリをボトルキープするほど強い愛を感じるというのがありますが、支払った代償が高いほど愛が強まるとすれば、自分で支払える上限は生命なので、愛のために死ぬのが正しいまである。
このへんはまだ追求が甘いのでまだまだなんですけど。
あんまり突き詰めすぎるとね、愛とは特定の状況で分泌される脳内物質だとわかってバイアグラみたいにファイザーから市販されたりして、こんどは薬物乱用で問題になるかもしれないですからね。
なるべく愛と幸福をセットで処方してほしいですよね。