渡る世間は本末転倒 | Ноль минус пять минут

渡る世間は本末転倒

仮にもオリンピックをめざすeスポーツが云々って、スノボなんか國母和宏氏の腰パン叩きで『チッうるせーな……反省してま〜す』で国外追放寸前からの、そもそもスノボというものが不良文化でオリンピックに相応しくない論からの、この間の平野歩夢選手の金メダル一発で認められモードでしょ。

スノボとかスケボーの横ノリ文化が変わったわけじゃなくて、オリンピックは別物ということで選手が割り切って護身するようにはなったけど。


スポーツにやたらと品行方正が求められるのは、学校の体育とか部活とくっついててなんとなくスポーツが教育の一環だと洗脳されてるからですよ。

世界を目指すなら部活の全国大会なんて出てないでさっさと海外に出たほうがいい。

部活なんて顧問の手当はつかないし、親は強制ボランティアで苦しくて、生徒は暴力やパワハラから逃げられないわでいいことないでしょ。

内申書のために部活加入が必須だったりするし。

教育のほうが体と精神には悪そうですよね。


だいたいスポーツなんか趣味で遊びで勝負事なんだから、観る方としてはパフォーマンスが第一で、優れた人格とかは付加価値としてあればいいかなーというくらいですよ。

優れた人格が見たいならお寺とか教会いけばいいんだし。

清く正しく美しくつまらなくなるなら、そういうのはいらないかな別に。


そんなところより法律が守られてないような労働環境とか企業活動を清く正しくしてほしいですね。

警官殺して裁判から逃げ回ってる奴をほったらかしてる会社が人を裁いてんじゃねえ。

コンプライアンスってなんでそういう社会の根幹の法的にアウトなところをほっといて、法に触れてもいないような場末の暗がりに細かくダメ出しするのよ。

そういうのが居心地悪いから場末の暗がりに来る人がいるわけでね。


プロゲーマーに限らず、誰か代表者に責任を背負わせて、そいつの言動次第であり方が左右されるようなものは文化とは言わない。

何その変な天皇制。

一人ひとりが背負わずに何が文化だ。

大衆文化はいつも最底辺のガラクタの死屍累々の山の上にある。

重荷を他人に背負わせるものに死体の山を踏む権利はない。

文化とか口にする前にまずその他力本願をどうにかしろ。



(ジョージ秋山『デロリンマン』第3巻)