桜の季節が終わり…ツツジの季節が終わり

紫陽花の季節になる前に2月からずっと

寝込んだままの旧友に代わり

頼まれた賃貸物件を見つけて来て

あげなければと頑張った。

複数の病と闘う旧友は突然、

別人格のように物事に激怒し

筆者に対して暴言を浴びせる為

何であれ安心を与えてあげねば

筆者の身も保たなくなるのだ。

その甲斐あって旧友が闘病する

転居先は紫陽花が満開になる前に

見つけるミッションは完了した。

しかし喜びは筆者に皆無な現実。

人に頼まれたことを人の為に
することは幼少期から得意であり
それが何ら苦ではない自分がいるが、
パンデミック最中に還暦を迎えた
家族のいない自分の身に訪れたのは、
自分にも間もなく訪れる賃貸物件を
探さねばならない高いハードルだ。
パンデミック前にワンルームの
仕事場兼資料倉庫の賃貸ですら
50歳を過ぎた人間が契約可な物件は、
事故物件しかなかったのだ。
致し方ないと事故物件を契約し
一切怖い思いをせずに時が過ぎ
コロナ禍事情により取り壊しに
なるその物件を去る寸前に
白い壁に人型の染みが現れ
その画像を出版社の人に見せ
心霊寄稿をしたに至ったのは、
もう4年も前のことになる。

その記事がきっかけで、
事務所同期の松田聖子の
紙媒体の記事協力オファーを
くださった男性記者さんとは、
早3年の付き合いになるのだ。
その記者さんは、筆者よりも
少しばかり歳下だが、
人望があり多くの芸能人との
繋がりがおありだ。
2年前に上島竜兵さんが、
悲しい旅立ちをされた時に
「何度も取材させて頂いてたので
親しくさせて頂いていた
上島竜兵さんなのでショックで…」
と力を落とされていたのだ。
享年61…だった上島竜兵さんとは、
筆者は同学年という事を知り
もしや…と記者さん及び上島さんと
近しかったかたと話しをしてみると
やはり…初老期鬱も関係していたと
解りやるせない気持ちになった。
上島竜兵さんは、お笑いのキャラで
その人気が確立された地位にいらしたが、
本来は舞台や映画やドラマでの
西田敏行さんのように振り幅巧みな
俳優さんの道に進みたかった方だ。
しかし来る仕事はお笑いが締めていた。
還暦を過ぎれば回りは後輩ばかり
パンデミック中に悩みが募るが
奥様にもその悩みを隠し続けて
悲しい旅立ちになられたのだ。
手厳しい言い方をしたら
筆者には無い家族や地位や仕事が
あったのに勿体ない!と
言いそうになるのだが、
地位を得た人間の初老期鬱は、
ハッキリ言って地獄なのである。
そこだけは筆者も身を持って
理解できるから辛すぎる。

しかし、筆者には…ユッコちゃんこと
岡田有希子デビュー40周年イヤーの
PREMIUMサプライズ企画を進めていく
ミッションがあるから頑張らねばならない。
ユッコちゃんをずっと思い続けて長い道程を
頑張ってこられたファンの方のために
そしてユッコちゃんのために
筆者にしかできない事を頑張ります。

タイトルから離れてしまった…
ラスト寄稿になりすみません。
この画像は、1999年の年賀状の愛犬だ。
ということは、1998年12月上旬の撮影。
愛犬10歳、旅立つ7年前だから
まだ盲目になっていない頃なのだ。
1988年に幼き頃から念願だった
家族に犬を迎えるこてができたのだが、
「え?犬にも まつ毛あるんだ、可愛い」と
当たり前な事に感動した記憶がある。
父方、母方…の祖母が続けて他界して
生前の母が悲しみのどん底だった時に
我が家に初めて犬を迎えたのだった。
筆者の現状の人生で、両親がいてくれて
愛犬がいてくれた17年間が、
最高な時だったと思っている。
両親にも愛犬にも
ありがとう…とまだ言わない代わりに
作詞などの作品をまだまだ
上から見てもらいたいと思っている。
かなりメンタルがキツイけど
頑張らねば…