12年ほど前にJ駅前のカフェDを利用していた。

かなりの比率で遭遇する譜面を見ながらお茶を

していた青年にある日 会釈された。

1980年から芸能界にいると何処か業界臭?が

出ているのか?はて?どこかで見た顔だが…

待ち合わせしていたらしき業界人と筆者を

間違えて会釈した青年は「三浦です」と一言。

三浦祐太朗さんだった。筆者が人違いと解り

詫びてきた祐太朗さんに「大丈夫ですよ、

ご縁がありますね。私は、お父様とお母様の

英語講師のパトリックノパクン氏の写真を

撮影していた写真家でして」と言った筆者に

友和さん似の爽やかな笑顔になった祐太朗さん。

その日から5年後に祐太朗さんは、お母様の

山口百恵さんのカバーアルバムを発売された。



百恵さんにアドバイスを委ねた祐太朗さんは、
百恵さんから「鼻濁音に気をつけて綺麗な日本語
で歌うといいわ… 」と言われたという。



 🧐つまり・・・
【 秋桜が 】【母が】の『が』の歌唱を特に
 注意して鼻濁音で歌ったらよいと
    アドバイスされたわけなのである。



🎤鼻濁音 👄(びだくおん) とは、
 軟口蓋鼻音(なんこうかいびおん)と
 呼ばれていると発音方法。
 「が行鼻音」とも呼ばれている。
   が、ぎ、ぐ、げ、ご を発音する時に
  濁音だと 荒々しく、強い発音に対して
  鼻濁音だと 丸さや柔らかさを感じる。


 筆者と事務所同期だった松田聖子(以下 聖子さん)
 1981年1月21日(水)発売の4枚目のシングル
「チェリーブラッサム」

 筆者の写真家時代の二人目の師匠
 武藤 義氏撮影のジャケ写の聖子さんが初々しい。

デビュー前から譜面初見で、直ぐに歌える
天才肌だった聖子さんですら
3枚目のシングルまで、
作詞 三浦徳子  作曲 小田裕一郎 楽曲だったのが、
作詞 三浦徳子  作曲 財津和夫 楽曲になり
当初は、この楽曲の歌唱に自信がなかったのだ。
筆者は、レコーディング前に「聖子ちゃんに
一番似合った曲が来たぞ〜」と歓喜したが、
いきなりの財津サウンドに戸惑っていた
まだ18歳の松田聖子がいたのだ。
しかし本人の戸惑いは、僅か数日で、
消え去り18歳の松田聖子は、
財津サウンドを自分の物にしていた。
三浦徳子氏の松田聖子楽曲の歌詞として
初めてと言っても過言でない難しい
鼻濁音必須な箇所が、
1コーラスで出てきている…



 🎤つばめが… の「が」の発音を
 見事に鼻濁音で、歌唱した聖子さん。
 流石であります。👍

 なぜ故…鼻濁音内容を寄稿したか?と
 言いますと…
 筆者が、シャンソン歌手 珠木美甫さんに
 作詞をさせて頂いた3曲のうちの
 2曲の譜面が、出来上がった5月18日に
 珠木美甫さんが、シャンソン教室の
    生徒さんに歌唱指導なさっておられる時に
 やはり、鼻濁音の指導をしてらした
 からなのです。




 「急がずに」の「が」鼻濁音必須ですね!



 「春の午後の」の「ごご」も鼻濁音ですね💦

 🙋 鼻濁音で歌えてるのかな? と
    一人きりで確認する方法は、
 🙅鼻を摘んで歌えていたら鼻濁音では
        歌えていない。
 🙆鼻を摘んで歌えなかったら
  鼻濁音で歌えている。

 試してみてください。😄