筆者と事務所同期と幾度も寄稿している
松田聖子(以下 聖子さん)だが、
聖子さんのシングルデビューは、
44年前の 1980年4月1日(火)だ。


その2か月前の 1980年2月1日(金)に 
中山圭子(以下 圭以子さん)が、
シングルデビューしている。


聖子さんは、堀越を卒業した翌月で、
まだ聖子ちゃんと呼んでいた頃…
圭以子さんは、堀越高校在学中で、
まだ圭子ちゃんと呼んでいた頃に
筆者は、宣材写真(現代のアー写)を
撮影したりしていたのだ。 
3月生まれの聖子さんは、当時18歳。
8月生まれの圭以子さんは、15歳だった。
撮影時に黙ってポージングする聖子さんに
対して…圭以子さんは、良い意味で
普通の女子高生で、筆者にいろいろと
喋りかけてくれながらの撮影だったのを
昨日のことのように覚えている。

筆者撮影の聖子さんの写真は、
紙媒体に提供したりしてきたが、
圭以子さんのJK時代の写真は、
まだご本名とお会いしてない為
(LIVEに伺う前なので)
今は無断でご紹介できないが、
現在の圭以子さんのYouTubeで、
圭以子さん歌唱のこの曲に
心を打たれたのでご紹介したい。


もともと仲良しだったふたりだが…
圭以子さんのデビュー曲の
CMタイアップのアクシデントにより
聖子さんのデビューを圭以子さんの
2か月後に早める必要が発生した。


それを実行するには、所属契約書上
圭以子さんの承諾が必須だった。
もし、圭以子さんが NO と言っていたら 
日本に 松田聖子は、存在しなかったかも
しれないのだ。
しかし、圭以子さんは、聖子さんと
仲良しだった為 ライバル意識はなかった。
まして人柄が良い圭以子さんは、
直ぐに承諾されたのだ。
結果、聖子さんが瞬く間に
トップアイドルになったのだ。

    S スタジオで急遽撮影した宣伝フライヤー

今だから明かせるが、、、
デビュー曲は芳しくなかった聖子さんが、
2ndシングル「青い珊瑚礁」が ヒットして
新人賞に聖子さんがノミネートされ
圭以子さんが落選していた時に
圭以子さんはスタッフに気付かれぬ
場所で涙していたのだ。
いくらライバル意識が、ないとて
16歳になって間もない高校2年生の
女子なら当然だと感じた筆者だった。



当時筆者は、何人かのスタッフから
「圭子ちゃんに声かけれない可哀想で」
と言われたのを記憶している。
しかし…スタッフの前では、
常に可愛く明るい圭以子さんだった。
大人になり家庭を持たれて
幾度も病と闘われた圭以子さんが、
今、聖子さんの楽曲を
こんなに素敵に歌唱されていることに
感動した筆者だった。
筆者が、芸能界に入る4年前の1976年、
圭以子さんは、映画 ベンジーの
日本版主題歌を歌唱された
シングルレコードを出されていた。
まだ高校生で、犬好きだった筆者は、
このレコードを購入していたのだ。

圭以子さんの3月のLIVEは、
名古屋移動日で涙をのんだので、
次のLIVEには、
何があっても駆けつけたいと思う。
YouTubeで、どの楽曲を聴いても
心を打たれてしまうので…
 YAHIMONときはる拝