深夜バスが 早朝6時に到着して電車で旧友の元へ…
持病の薬は飲んでいた様だが、体調が悪そうだった。
名古屋での打ち合わせが、ハードだった為にかなり
疲労困憊だった筆者だったが、旧友のケアラーを
済ませて地上波📺をつけた。
14時46分に黙祷 
東日本大震災から…13年、時は容赦なく過ぎ去る。

13年前は、まだ旧友は元気で…毎日仕事に来る前に
震災により東京も食品が品薄になっていたあの頃、
1人1本限定の2リットルのミネラルウォーターを
スーパー開店前に並んで購入して来てくれていた。
その旧友が、今は ほぼ寝たきりで筆者と逆転
しているのだから人生どうなるか解らないのだ。
しかし、旧友の快復を信じて単身看護をしながら
できる仕事を得られるよう進むしかないのだ。
13年前に津波により命を奪われた方、大切な方を
亡くされ安住の場所も失った方たちの事を考えたら
生きていれば、どうにかなると前向きになれる。


名古屋に向かう前に立ち寄り写真をお渡しした
シャンソン歌手の 珠木美甫さん(以下珠木さん)が、
ブログに筆者のことを寄稿してくださった。
筆者の事が、書かれてる部分のみ転載させて
頂きました。👇

  【 出典  珠木美甫の気まぐれブログ 】






👆ここまでが、珠木さんのブログであります。
 ご覧頂きありがとうございます。🙇

ボンボンの看板犬 一休(いっきゅう)くんの
四十九日  (3月22日)に寄せての作詞でした。
オリジナルの楽曲に対して忠実に
訳詞していないので、作詞…と記すべき
なのかもしれないが、1968年に🇫🇷巨匠
セルジュ・ゲンスブールが書かれて
フランソワーズ・アルディが歌唱された
シャンソンの名曲に 作詞と記すには、
気が引けて訳詞と記してしまった。


さよならを教えて〜comment te dire adieu 
の 世界観を壊すことなく 楽曲内の
恋人同士の別れ を 我が子同然で18年間、
片時も離れなかった珠木さんと一休くんに
重ね合わせて幾度も直して 言葉の響きも
考えて完成形にしまのだが、幼少期から
犬好きの筆者は、かねがね「犬は永遠の
5才児」と豪語してきた。純粋で忠実な
動物だとの良い意味なのだが、愛する家族
として共に暮らしてみると人間と同じで
人の心を読み取り寄り添ってくれるのだ。
珠木さんは、大学1年生になる息子さんに
旅立たれたのと同然だと考えてしまう。 
そんな考えからシャンソンの名曲に
珠木さんと一休の かけがえのない年月を
記したかった筆者なのであります。
歴史を紐解くと さよならを教えて が、
日本で ヒットしたのは、1973年…
なんと筆者が、中学1年生の頃なのだ。

    フランソワーズ・アルディ
複数の病を乗り越えられた
デビュー62周年のフランソワーズ・アルディは、
現在 80歳。お元気でいてほしい。
 

横顔の珠木さんの画像は、ボンボン店内で
突然横顔の珠木さんを撮影したくなり
1カットだけ撮影させて頂きましたが、
さすがSKD時代からステージにおいて
一瞬の美 で、お客様を魅了させておられる
珠木さんなので、10秒撮影でこの画像なのだ。
ジャケ写風に文字を乗せているが…
涙 慈しみに変わるから  でも
涙 いつくしみに変わるから  でもなく
「なみだ慈しみに かわるから」にしたのは、
漢字とひらがなの配列を鑑み
優しい珠木さんと一休のイメージにしたのです。

🧐ふと…不思議な偶然に気づいた!
筆者が、2016年にシャンソンバーボンボンで、
珠木さんを撮影したこの画像のアングルと
フランソワーズ・アルディの さよならを教えて
のジャケ写が、似ているのであります。
筆者は、さよならを教えてのレコードを
持っていないしジャケ写も知らなかった…
しかし 8年前に珠木さんのこの撮影をした。
なにかのご縁があるのかもしれない…。

こちらは、あとから作った別バージョン↓


筆者も19年前に愛犬(17歳没)との辛い別れを
経験しております。 
その哀しみが、慈しみに変わるのには、
何年もかかりました。
偶然にも珠木さんと筆者は、愛犬の
旅立ち方が同じでした。愛犬に添い寝を
している時に旅立っていったのです。
きっと珠木さんが、この歌詞を歌えるのは、
何年も先かも知れません。
それで構わないのです、詩を重視する
シャンソン業界キャリアの長い歌手である
珠木さんに「いい詞です」と言って頂けたのも
筆者には励みになります。
諸事情から心霊寄稿していた筆者の文章を
褒めてくださった珠木さんから勇気を
頂いていたのですから…
そう、筆者はオファーをお受けした
心霊寄稿を2022年まで50本発表しました。
その根源は、中学2年の時に訪れた
広島原爆資料館から号泣して出てきた
筆者の頭や両肩に十羽以上の白い鳩が、
乗り筆者を啄んできてから なのです。

一休くんを最後に抱っこしたのは、
今年の1月9日のLIVE終わりでした。

 一休を抱っこしている珠木さん

珠木さんが、一休くんを筆者の腕に
抱かせてくださった時に…筆者を
見つめてくれた一休くんの左目から
キラキラ光る涙が溢れ出ていたのです。
初めて見る一休くんの涙でした。
その時は「一休〜久しぶり〜眠いね〜」と
一休くんの ぬくもりを感じでいました。
一休くんに元気でいて欲しい気持ちが、
強すぎて涙は気にせずにいました。
まだ一休くんが、余命宣告を受ける前です。

2月2日の夕刻、品川区のある場所で、
道を聞いた男性が連れていたワンちゃんが、
鼻先で、筆者の腿を幾度もツンツンと
何かの合図をしてきたのです。
その時に一休くんが心配になり
ボンボンに向かいました。
珠木さんとご主人の福浦光洋さんへ
栄養ドリンク等を渡しに行くかたちで…
オープン前のボンボンに顔を出した筆者に
珠木さんの笑顔が眩しいほど素敵に感じました。
その時にカウンター内のケージで
休息していた一休くんが、珠木さんの
笑顔を通して挨拶してくれた気がしています。

2月3日の早朝、一休くんはお母さんである
珠木さんの腕の中で旅立たれました。
19年前に旅立った筆者の愛犬への
気持ちと同じように一休のことを
考えない日はない筆者なのです。
そんな気持ちで…
「なみだ慈しみにかわるから」の
詩を書かせて頂いたのであります。
 YAHIMONときはる拝