38年前に他界した祖母と

19年前に他界した父は、筆者が生まれる前に

都内で、精肉店を営んでいたという。 

正確には、父の独身時代だから

父は、母と知りあっていない頃なのだ。

精肉店は、父の独身時代に廃業した後に

母が、父と知りあったという

読む方には、どうでもよい筆者の

実家のルーツなのであります。💦


昨年1月に77年の歴史に幕を降ろされた

「北島商店」と同じ精肉店だったのは、

これも何かのご縁があるわけで…

2004年アテネ、2008年北京オリンピック

連続2冠競泳選手 北島康介(以下北島選手)

さんのご実家が、「北島商店」だが、

筆者は、北島選手所属の東京スイミングセンター

の先輩に当たる1988年のソウルオリンピックに

出場した三浦広司(以下三浦選手)選手の撮影を

させて頂いていて三浦選手のご実家の中華店に

立ち寄らせて頂いたり三浦選手と会食に行ったり

していたのだが…その時代には、北島選手は、

なんと6歳だった。しかし北島選手、5歳から

東京スイミングセンターで泳いでいたので、

筆者が、三浦選手を撮影していた時代の

チビッコスイマーの中に北島選手がいたのだ。




筆者の知らない時代の実家では、

お惣菜も作り販売していたらしく

祖母の担当は、コロッケで…

父の担当は、焼売だったらしいのだ。

そんな事情から筆者は、幼少期から

祖母の作るデカイサイズのコロッケと

父の焼売が、大好物だったのだ。 

残念ながら当時のコロッケも焼売も

写真に撮影していない為

画像が、存在しないのである。😢


祖母の作るコロッケは、

程よく大きくて衣もサクサクで

中身のじゃがいもと肉が絶妙だった。

祖母が、親戚の法事に出かけた途中に

バス停で倒れて救急搬送されて…

その日のうちに他界してしまってから

祖母のコロッケと同じ美味しさの

コロッケに出会ったことは無いのだ。



そして、父の作る焼売は、
皮で包まない手法だったのだ。
口当たりの滑らかさが最高だった。
筆者が、自社を立ち上げた90年代には、
残業をしてくれていた社員に食べさせたくて
父にリクエストすると🙏
穏やかだった父は、喜んで作ってくれた。
社員に好評だった為、かなり頻繁に父に
頼んでいたのだが、上に乗せてくれていた
グリンピースを「ワンパターンだから
何かしら工夫して欲しい」と頼むと
父は、蟹の身 や 小海老を乗せて
今で言う「映える」焼売に
試行錯誤してくれていたのだ。
父の焼売も祖母のコロッケ同様に
同じ美味しさに未だ出会えていない。
父の焼売の画像も撮影していないのが、
今になって悔やまれて仕方ないのである。

(Imageイラストが皮焼売しか無かった😔)

祖母のコロッケ も 父の焼売も
レシピすら聞いていなかったことが、
筆者には、痛恨の痛みなのである。
因みにコロナ禍前に他界した母は、
家庭的な料理を作る人だったが、
今となっては、肉屋で販売していた
レシピでのコロッケと焼売を
再現したいと考えている。
現在は、ケアラー事情から時間が無いが、
ケアラーが落ち着いてきたら記憶を頼りに
祖母のコロッケと父の焼売に
チャレンジしたいと心に決めているのである。