1975年8月1日発売『いちご白書』をもう一度

X(旧Twitter)の筆者(YAHIMONときはる)の
アカウントに 2022年のユーミン記事をRT
したが、Xをご覧になれない方のために
アメブロに添付することにした。

松任谷由実 50周年イヤーだった2022年、
前年に松田聖子記事でのオファーを頂いた
女性記者さんから「松任谷由実さんの50周年の
記事の画像と秘話をお願いできますか?」と
有り難いオファーを頂いた記事だったのだ。

あまりにも多忙すぎて 松任谷由実としては、
大掛かりな学園祭コンサートとしては、
キャリアにおいて最後だった青学祭であった。
筆者は、前年の一橋大学でのユーミンの学祭
コンサートに行くも…セトリ記録をしただけ
だった後悔から1983年の青山学院大学での
ユーミンのステージ記録を(画像も含めて)
残すため唯一 写真家(当時)として単独で、
この日の青山学院大学に出向いたのである。
プレスは一切入れていない学祭だったのだ。

この日のユーミンは、徹夜で12月1日発売の
アルバム「VOYAGER」の制作を終えて
赤坂のスタジオから青学に駆けつけ
通常のコンサートツアーと同様に場当たりや
音合わせをしていたのだが、今思うと
いくら当時29歳のユーミンだったとしても
限界を超えるハードスケジュールだったのだ。

記事内では、カットされていたが…
この日は、弾き語りナンバー中に
電子ピアノのトラブルが発生した。
楽器の不備に見舞われたコンサート中に
離れた場所からでも会話が聞こえるくらい
最前列の応援団風の男性と女性の会話は、
ユーミンのMC中に煩かったのだ。
かなり我慢していたユーミンは、いよいよ
教育的指導するしかない!と思われたに
違いないのだった。どうしても紙媒体の
タイトルは、「ブチギレ」を使いがちだが、
決していきなりユーミンは、ブチギレてないのだ。
昭和のお母さんが息子に「ちゃんとしなさい」と
言い聞かせるかの如く皆、納得していたのである。