今年は、岡田有希子さん(以下 ユッコちゃん)の
デビュー40周年イヤーの 2024年です。



現代なら仕事でメンタルが傷ついた人は、堂々と
心療内科クリニックに通院できますが、80年代は
心療内科が少なかったばかりでなく…メンタルを
患うこと自体が異常と扱われる風潮がありました。
コンプライアンスすら確立していない時代でした。
筆者は、ユッコちゃんデビュー前に同事務所を
退職しフリーになっていましたが、TV局等で
ユッコちゃんと遭遇し話す事はありました。
18歳の若さで悩み旅立たれたユッコちゃんを
護ることが出来なかったことは、接してきた
関係者として忸怩たる思いです。
しかし、筆者が出会ったユッコちゃんファンの
皆さんは、ユッコちゃんをずっと愛し続けて
昭和から平成、そして令和と歩いておられます。
哀しみを慈しみに変えてユッコちゃんの輝きを
後世に伝えることを頑張っておられます。
筆者もファンの皆さんと同じ思いで、
ユッコちゃんと接してきた佳き思い出を
世に出したくて執筆を続けております。
noteに寄稿しているのは、その準備稿です。
個人的にケアラーですが、遠方でご入院中の
ある方をお支えすべく頑張っております。

年頭から震災が発生して…ユッコちゃんの
40周年企画の情報解禁は、まだ出来ませんが、
昨年 40周年記念イヤーに繋がる兆しが、
ありましたので、ご紹介しようと思います。

このツーショット画像は、昨年 12月22日(金)の
LF 松任谷由実のオールナイトニッポンGOLDでの  
松任谷由実さん と 小室哲哉さんです。

 出典  松任谷由実 instagram

ラジオの電波に「岡田有希子」の名前が、
乗っただけでなく…それは光栄にも
松任谷由実(以下 ユーミン)さんと
小室哲哉(以下 小室さん)さんのお言葉で、
あったのです。ファンの方にとって
長い長いトンネルを抜けたような喜び
だったのでは…と感じています。

【ユーミンと小室さんの📻番組内会話】
※「松」は、ユーミン。「小」は、小室哲哉氏。
(一部の会話を解りやすくする為 簡略化してます)

「松 」出会いはね、小室さんが作曲して
   松任谷(正隆)さんが編曲した曲だった。
「小」僕の一番カルチャーショックですね、
   デビューしてからの… 
            岡田有希子さんの曲、2曲を初めて
            職業作曲家として提供させて頂いて
          「編曲何方なんですか?」とお聞きしたら
          「松任谷正隆さんです」と言われて
          「楽しみです〜」と言う感じになって…
   その時代は、カセットで送られてきて
            車の中で独りで雨の中、2曲聴かせて頂いて
           「これがプロの世界だ」と思いました。
「松」私は、この 岡田有希子さんの出来上がった
            曲を聴いて「良いね〜この曲〜」 って
   言って…心の手帳にメモしてました。
 「小」正隆さんが、聴かせてくれたんですね。
 「松」そうなの。
 「小」この時、坂本龍一さんがシングルで、
    僕がアルバムの中の曲だったのですが、
    皆さんプロ中のプロの方たちばかりで…
   僕のデビューですから(岡田有希子作曲は)


17本(2024年1月21日現在)の
ユッコちゃんを寄稿しております
note もご覧頂けたら幸いです。