松任谷由実 50th Anniversary コンサートツアー
「 The Journey」(全54公演)の50本目であり
東京公演最終日にあたる12月10日(日)の公演に
ご招待頂いた。初日(ぴあアリーナMM) 有明、
日本武道館に次いで4回目を観させて頂いた。
筆者は、終盤に向けて更にBrushUPされた
松任谷正隆氏演出の
究極のショーを堪能することがてきたのだ。

暮れなずむ代々木第一体育館を撮影した画像を
X(旧Twitter)にアップしたところ大勢の方から
いいね を頂いた。🙇
昔ならこれほど低空飛行しない羽田に向かう
航空機と丹下健三氏デザインの黄金比と光が、
耽美的に写ったことに気づいて下さった方々は、
素晴らしい感性の方々だと思うのであります。


横浜アリーナ や さいたまスーパーアリーナの
ツアー看板が電飾化する中で、日本武道館と
代々木第一体育館の野外看板は、まるで
時を止めてくれているような気がするのだ。


2006年のユーミンツアー看板 (代々木第一体育館)

1983年から紙媒体でユーミンのステージを
撮影させて頂いてきた筆者の記録を調べると
ユーミン初の代々木第一体育館公演は、
1991年 天国のドアツアーでの4公演である。
次の DAWN PURPLEツアーからは、
偉業の 8公演の開催(休演日挟むが連続公演)は、
代々木第一体育館の歴史に刻まれている。
そして・・・
シャングリラⅡ 及び シャングリラⅢ では、
1日2公演もこなされてきたユーミンは、
代々木第一体育館に【 通算 103回 】 
立たれておられることになるのである。
今更ながら流石ギネスミュージシャンだ。

 配られたWOWOWのフライヤーと招待チケット
 (同日いらしていた小室哲哉さんもこの紙チケ😅)

終演後に撮影した小室哲哉さんからのスタンド花

前日に親しいスタッフさんに用事があり伺った時に
届いていた くるりさんからの 楽屋花も素敵でした。
(楽屋花なので撮影は控えましまが😅)


その昔は、退場時に こちら側も開けていたのだが…

筆者が幼少期から好きなアングル
サブプールの日焼け場所なめの第一体育館
亡き両親に初めてユーミン招待した
シャングリラ(1991年)を思い出してしまう。 

 
スタンド南側にある岡本太郎氏の壁画も
大好きなスペースなのだが、今回はアリーナ
だった為 立ち寄れず残念だった。(画像の室内)
この場所は、かつてメインプール(1998年廃止)の
日焼けスペースだったのだ。プール営業廃止後に
飛び込み台が撤去(2002年)され冬期にしていた
スケート営業も2005年に廃止されたのである。


この個人的なブログには、内容詳細は控えるが、
(詳細はユーミン記事オファー頂いた時に💦)
筆者は、この代々木第一体育館で光栄にも
ユーミンのステージを撮影させて頂き
ある2つの普段とは違うユーミンMCに
遭遇したことが忘れられずにいるのだ。
1つ目は、日本の音楽史上考えられぬ
セールスを記録したユーミンが、
一度だけ不安を表に出された謂わば
弱気な発言をなさったこと。
そして2つ目は、CDバブル崩壊後に
当時弾き語りでフリーMCだった
ユーミンが、初めて引退を示唆する
発言をかなり強い言葉を用いてなさり
約2800人の観客が、水を打ったように
なってしまったこと。それを察した
ユーミンは「直ぐは辞めないよ」と
明るい話題を切り出したのだ。
その日から30年経過した
2023年12月10日のアンコールで、
人々はユーミンのMCから
はかりしれぬ勇気や希望を貰ったに
違いないと筆者は確信している。
   YAHIMONときはる拝

 【ユーミンのアンコールMC】

「代々木第一体育館は 一番思い出がある場所
    シャングリラも沢山やったし…
   次にいつ立てるかな?なんて思ったり…
 (中略)
   今日ここに立ちながらもう二度と会えない人…
   いろんな顔を思い浮かべてました。
   私は元気でやってるよ…って

 みんながついててくれるから
 本当に感謝してます、だからやってこれた。
    この先 どれくらいできるか解らないけれど
 できるだけ長くできるように
 あらゆる努力をしようと思ってます。」