昨日のFMラジオ番組にて筆者のことをご紹介して
下さった 演歌女子 坂本みさと さんは、推しを越え
「女神様」と 青江三奈さんの大ファン、そして
もうひとりの「女神様」が、川中美幸さんだ。

 出典  坂本みさと@演歌女子 X(旧Twitter)
   川中美幸さんと坂本みさとさん

川中美幸さんは、サンミュージック所属時代があり
1997年に我妻マネジャー(以下 我妻さん)創立の
芸能事務所 アルデル・ジローに移籍されました。

筆者は、松田聖子(以下 聖子さん)と事務所同期
だったが、聖子さんデビュー年から数年間、
我妻さんが、松田聖子初代チーフマネジャーで、
聖子さん超ハードスケジュール時代に
コンサートパンフレット撮影のスケジュールを
決めてくださるのも全て我妻さんだったのです。 
この撮影ができたのも我妻さんのお力です🙏


これは↑ 聖子さんデビュー2年目、まだ21歳の
若造だった筆者は、スケジュール表を見ながら
「我妻さん、ここ午前中 撮影スケジュールを
 入れて頂けないでしょうか?」と言うと…
「駄目だよ!聖子の睡眠時間削り過ぎたら
 体調崩すだろ」と一喝なさったのですが、
 筆者は、若造ながら…我妻さんは、聖子さんの
 体調を考えて完璧なスケジュールになさってる
 凄いことだな〜と思っていたのを覚えています。
 しかし、撮影のことも真剣にお気遣いくださる
 我妻さんは、自ら筆者がいたセクションに
 その日のうちに来てくださり「この日、昼過ぎ
 から3時間 おさえたから撮影できるか?」と
 今で言う「神対応」して下さったのです。
 厳しく仰ってもけして怒ったりはなさらず
 正しく教えてくださる尊敬すべき方でした。
 
 1998年に神田の某所で、川中美幸さんの
 「二輪草」キャンペーン中に遭遇した筆者は、
 川中美幸さんと一緒に歩いてらした我妻さんに
 会釈すると… 我妻さんは笑顔で「久しぶりだな
 元気に撮影してるか」とキャンペーンの輪を離れ
 筆者にお気遣い下さったのです。
 我妻さんのお優しさに心が洗われました。
 我妻さんが、2017年 6月 鬼籍に入られてからも
 我妻さんが、聖子さんの体調を気遣ってらした
 優しいお気持ちを看護時のメンタル部分に
 強く(自分に)言い聞かせています。

 さて、付き添いで病院にいても
 歌から元気をもらえます。
 坂本みさと さんのカバーで
 川中美幸さんの「二輪草」から
 元気をもらいます。
 ※下の画像は、スクリーンショットなので、
  坂本みさとさんの数あるカバーは、
  検索してお聴きください。💦