2023年7月2日に50年の歴史に幕を閉じる

中野サンプラザ 😢筆者の中野サンプラザ史を 

青春編、仕事編、推し編 の

3回に分けて寄稿したいと思っています。

ご覧頂けたら幸いです。

中野サンプラザホール【 ① 青春編 】


筆者が、初めて中野サンプラザを訪れたのは、

開館して3年目の 1976年7月26日でした。

因みに筆者は、高校1年…友人と訪れました。


アイドルとして高校生活最後の夏休みに

18歳で 女性歌手初の全国縦断リサイタルを

開催する初日の公演だった桜田淳子 

(18歳なのでまだお姉さんの影響での入◯前💦)


「夏にご用心」が、大ヒットしていました。

 


この日は、ライブ盤(当時はまだLPレコード)の

収録がありましまたが、初日の緊張からか?

オープニングの一曲目…を 歌い出す前の

イントロ部分に彼女の咳払いが、微かに

収録されてしまっています。

現代なら歌もパフォーマンスも熟れた

千穐楽を発売(映像)するのが常ですが、

当時は、地方公演で「今日の感動をご家庭で」と

ライブ盤レコードを物販コーナーで販売する為に

まだ歌い込みしてない初日に収録するという

かなりの無茶振りをしていたのです。

映像販売不可能(家庭ビデオ無き)時代でしたから…


 筆者は、高校の親友と一緒に2階席にいました。

 いよいよ全国縦断 桜田淳子リサイタル3

   青春賛歌 が、開演する直前の2階席に

 男性マネージャーと現れたのは、

    女性アイドル歌手 岡田奈々 でした。

    念のため こちらの 岡田奈々😅(画像)です。


 大きな花束を抱えていたので、

 終演後に先輩歌手 桜田淳子の楽屋に

 楽屋見舞いする筈だったのだと思います。

 本編ラスト直前に2階席からマネージャーと

 一緒に立ち去った岡田奈々でした。

 

 それから3年後の 1979年7月に

 中野サンプラザに訪れたのは、

 音楽監修 筒美京平

 ロックミュージカル ハムレットでした。 

 ハムレット役 桑名正博が、

 ステージセットの池の中から

 オフィーリア役 岩崎宏美 を

 抱き上げるシーンは、圧巻でした。


 このシーン後に緞帳が、降りて

 カーテンコールで、演者が次々に現れ

 高速で濡れた髪の毛を乾かしたであろう

 岩崎宏美 (当時20歳)の劇中の演技に感動し

 今は亡き桑名正博さんの演技力にも

 涙した素晴らしいミュージカルでした。 

 歌手として第一線のお二人が、

 舞台俳優として輝いていた

 中野サンプラザでした。

 ありがとう中野サンプラザ〜青春編として

 失笑したハプニングを記します💦

 このミュージカルの息を呑む場面で、

 レアティーズ役 尾藤イサオ が、滑舌良く

「剣を塗った毒を持たされたんだ」

 キャパ 2222 のうち数人が、

 ざわついていたのを覚えています。

 ベテランでもミスるのを垣間見た瞬間…

 「毒を塗った剣を持たされたんだ」が、

 正しい台詞なのは、言わずもがなですね。

 
 音響が、優れているからこそ

 昭和のレコードの実況録音盤の

 収録会場は、中野サンプラザだったのです。

 筆者は、このミュージカルの翌年…

 1980年から芸能界の仕事に

 君臨することになるのです。

 次回、
 ありがとう中野サンプラザ ②仕事編 を
 ご期待頂けたら幸いです。