私の行き方 健康診断にひっかかり人生も有限だと

思い人生を振り返っています。


私は大学時代にまったく女性に縁がなかった。

空気がよめない。 女の人はお金についてくる。

女の人から告白するもの 女の人から惚れささなあかんと

祖父に教えられていたので少しおかしいと思いながらも

モンモンと過ごして女性からアプローチされるのを待っていた。

あまりに相手にされないのでそれでもう女の人はいいわと

思って、大学3回までずーと勉強してきたので

やりたいことをやろうと思って

鉄道研究会に入っていたこともあり、鉄道旅行を

して日本中を旅していた。47都道府県を制覇して

すごく楽しい青春を謳歌していた。


 

一方で友人は大学時代女の人を欠かすことがなく

常に彼女がいて 女の友人もいて 楽しんでいた友人がいた。


最近になって15年ぶりに友人に会っていろいろ話をしていると

旅行にはまっているという今は女の人より旅行らしい。

女の人はお金がかかるかららしい。


「15年前の大学時代にこんな楽しいことをお前がしてたなんて

なんて幸せものなんだ」


「一瞬 えーと思ったが お前の方が幸せだよ

女性と交際していろいろ楽しんだんやろう」


結局はないないづくしやんかということで笑っていた。





私の行き方 健康診断にひっかかり人生も有限だと

思い人生を振り返っています。


自分ノートを遡ってみると中学時代の目標やらが

出てきた。


①中学時代も鉄道がすごく好きで新線建設などの

プロジェクトに携わりたい。それには鉄道会社に入るか

国の国家プロジェクトに携わろうと思い国家公務員に

なりたいと思った。


②鉄道会社に入って、運転、車掌、駅員を経験して

関連会社の幹部になって関連会社の社長になる




私は四条畷高校から京都大学法学部に行って

 運輸省に勤めて鉄道局に配属になるという野心を

持った。でも理想が高すぎて頭がついていけなかった。


その時は祖父が働き者だったので祖父の背中を見て

頑張ろう!やればできると思ったし

当時行っていた塾が講師が京大生でこんな先生に

なりたいと見本もいた。


結局は 

四条畷高校に落ちて仰星に行くし

大学もことごとく滑って摂南大学に行くし

摂南大学に行ってからも黙々とチャンスを

伺い 3年次編入試験で京都大学法学部を

受けるも英語くらいしかわからずあしきりを食らった。

それで受かった大学が滋賀大学経済学部。

25歳の時に国Ⅰを受けるが難しすぎて

頭から煙がでた。


今 介護事業所の所長をしており経営の主導権を

とれる立場にいるから②の鉄道会社の関連会社の

社長という目標には近づいている。


紙に目標を書いて毎日見ればその目標に近づける。


私の行き方 健康診断にひっかかり人生も有限だと

思い人生を振り返っています。


昔から国語が大の苦手で最後まで偏差値が45くらいしか

ならなかったのだが本を読むのが苦手だったので

新聞だけは毎日 中学校の時から読んでいた。


やはり当時祖父や父が新聞をよく読んでいたので

国語が苦手だが私も新聞を読んでいたのだが

やはり断片的にしか理解できなかった。


それでも興味のあるところは読んでいた。

読売新聞の人生案内とか


97年に摂南大学法学部に不本意ながら

進学し、まじめに授業を受けていたが


一番 記憶に残っているのが

一般教養で 経営情報学部の春日雅司

先生の授業を受けた時だった。

この先生は社会学の専門だったが

何気ない一言がやはり印象に残っている。

社会学の授業のことはあまり知識に入っていない。



「新聞を毎日 読めば 将来ものすごい知識になる」

とかいうことを言っていた。

このころから増して新聞を読むことになり

年を追うごとに知識が増えていって

新聞の内容の理解が進んだ。


かなり知識が増えたなと実感したのは

10年後くらいである。


今もかかさず毎日、新聞を読んでいる。