祖父があまりにも自信ありげにうちの家はいい家だという態度をみせるので
ほんまにそうかなと思って一回調べてやろうとして
ちょうど会社を辞めた2007年の8月くらいから調べてみた。
まずは①山本家の除籍謄本を遡れるだけ遡る。
そうすると文化2年(1812年)くらいの生まれの人まで遡れた。
その人の父親の名前まで除籍謄本に載っていた。
1代30年くらい遡るので1780年代生まれということがわかる。
②つぎに菩提寺に行ってきいてみると 1939年の禁野の大爆発で西方寺が焼失したので過去帳が残っていないという
③家の仏さんの位牌を調べてみると
曽祖父(久吉) 1892年(明治25年生まれ)~1957年(昭和32年逝去)数え65歳
高祖父(久造) 1863年(文久3年生まれ)~1946年(昭和21年逝去)数え82歳
高祖父の父(傳三郎) 1837年(天保10年生まれ)~1905年(明治38年逝去)数え69歳
高祖父の祖父(弥平) 1812年(文化2年生まれ)~1868年(慶応4年逝去)数え57歳
高祖父の曽祖父(おそらく弥兵衛)まで 1780年代生まれ
④枚方の法務局に行って 旧土地台帳(明治20年)を調べてみる。
山本傳三郎の名前がよく出てくる。昔は結構土地を所有していたようだ。
明治20年代後半で土地をだいぶ手放している。(なぜ?)
でも庄屋や新興地主ほ土地を所有してはいないようだ。
⑤枚方市の図書館に行って郷土史を調べてみる。
1939年の禁野の大爆発でやはり文献も焼失している。
そのなかで 中宮の資料で南明堂の資料(中島三佳著)
に中宮の私塾 南明堂の資料の中に塾生名簿がある。
名前を確認すると地主さんやお金もちばかり載っていた。
私のどもの先祖は掲載されていない。
⑥家紋は剣片ばみである。
④の明治20年代後半に土地をだいぶ手放しているのはなぜか
祖母に聞いてみた。高祖父の久造がお酒におぼれていて橋本の遊郭に入り浸っていたのでお金がなくて売ったのではないかとという衝撃な事実を聞いた。
また除籍謄本を見ると久造が一回戸主になったのに久造の母親(むめ)が親族会議の結果、戸主になったという記述もあった。
結局、江戸時代から続く 貴族でもなく 武士でもなく 庄屋でもなく普通の家である。
いいように子孫に言い伝えるものである。