阿波野青畝の俳句(一)

一 虫の灯に読み昂(たかぶ)りぬ耳しひ児(第一句集『萬両』)

※初出「ホトトギス」(大正七・一)。秋(虫)。耳が遠かった作者は、自然読書に心を注ぐようになり、『万葉集』などに感情をたかぶらせた。虫が鳴きはじめた秋の夜、読書力もまして夜を徹して書物に親しみ心の昂ぶりをおさえかねているさま。(「阿波野青畝・萬両」・松井利彦稿)

※阿波野青畝略年譜(その一)

http://www.gospel-haiku.com/sh/history.htm

明治32年 (1899)2月10日 奈良県高市郡高取町に生まれる。旧姓 

橋本。長治の四男。本名 敏雄。(大正12年阿波野貞と結婚、改姓)


大正 4年 県立畝傍中学在学中郡山中学教師原田浜人を知る。卒業後しばら

く京都にいたが、兄が亡くなり帰郷。幼時からの難聴のため、進学をあきらめ

る。

大正 6年 秋、浜人居で奈良来遊の高浜虚子と初対面。同じ難聴の村上鬼城

を例にして激励される。しかし、指導を受ける浜人の影響もあって、虚子に客

観写生について不満を述べるが、虚子から「大成する上に」「暫く手段として

写生の練磨を試みるよう」、諭される。

大正 7年 11月 八木銀行に勤務。

大正11年 野村泊月の「山茶花」に投句。

大正12年 大阪市西区京町堀上通りの商家阿波野家に入る。この頃から「ホ

トトギス」成績好調、翌年課題句選者となる。牧渓の画の簡素に魅かれ、俳句

の形式を生かす途は簡素化だと考えた。写生の習練によって、「玄々妙々の隠

微をもつ自然と肌をふれる歓び」を知る。

昭和 3年 秋には、山口青邨が秋桜子、素十、誓子、青畝と並べて四Sの一

人に挙げ、一躍有名になった。

昭和 4年 1月、郷里大和の俳人達によって「かつらぎ」創刊、請われて選

者となった。その年、「ホトトギス」同人。

昭和 6年 『万両』刊。第一句集。