二十二のアフォリズム(警句)(その一)   
--最東峰句集『ひむがし」・大島邦子句集『俯瞰図』鑑賞--      
                           
                                       
① 日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、唯一枚の硝子(がらす)板で仕切られて居る。 〔寺田寅彦・「二十二のアフォリズム」その一〕
                                        
 ○ 初めての雪初めての赤ん坊(最東峰・「空は子に」)
 ○ 雪降る川緩く曲がりて雪に消ゆ(大島邦子・「地芝居」)

 最東さんの句集『ひむがし』には雪の句は少ない。それに比して、大島さんの句集『俯瞰図』には雪の句が多い。最東さんは烏山の人。大島さんは栃木市の人。それほど、お二人の雪に接する多寡に変わりはない。しかし、最東さんは殆ど雪そのものを句にすることはない。掲出句のように何時も雪(自然)は従でその主題は他(この句では「赤ん坊」・「初孫(?)」)にある。それに比して、大島さんの雪の句は、この掲出句のように「雪の川」(自然)と川が主題の句であっても、下五の「雪に消ゆ」と雪そのものがよりメインとなっているものが多い。 
 さて、昭和一桁時代の最東さんと大島さんの日常生活の世界と作句歴三十年に達するお二人の詩歌の世界とを遮っているその唯一枚の硝子(がらす)板は、最東さんの場合は、雪の景を写す直接的な働きはせず、大島さんのそれは雪そのものの景を直接的に描写するフイルターの役割を担っている。この違いは、二人の句風の特徴を端的に物語るものであって、もし、一番大雑把な分け方が許されるならば、最東さんのそれは、「俳味」(生活実感を通してのペーソスに満ちた滑稽味)重視の「人事諷詠句」を得意とするのに比して、大島さんのそれは「詩性」(生活実感周辺のより審美的な遙かなるものへの憧憬)重視の「自然諷詠句」に、その「唯一枚の硝子(がらす)板」を仕切りにしているようなのである。いずれにしろ、これらの俳句を鑑賞するにしても、また、作句するにしても、この日常生活の世界と詩歌の世界の境界となっている、その人の硝子板がいかがなものか、それを知ることが、まずもって寺田寅彦流の大切なアフォリズム(警句)の一つであることは間違いない。

② 宇宙の秘密が知りたくなった、と思うと、いつの間にか自分の手は一塊の土くれをつかんで居た。〔寺田寅彦・「二十二のアフォリズム」その二〕
                                        
 ○ 目ん玉を残して逃げし雪兎(最東峰・「空は子に」)
 ○ 眼を入れて徐々に悲しき雪兎(大島邦子「湖の蝶」)

 最東さんと大島さんの雪兎の句である。雪兎の目は真っ赤な南天の実でする。雪兎は最東さんと大島さんの幼少時代につながる懐かしい子供遊びの一つであったろう。そして、それらの子供遊びから、さまざまな宇宙の秘密が知ったことであろう。同時に、それらの子供遊びは、その当時の社会のさまざまな残影を色濃く宿すものでもあった。この雪兎の二句、最東さんのは曲球の滑稽句、大島さんのは直球の主情句、しかし、この二句の背景には、昭和一桁時代の戦争との関連の日々の残影が見え隠れしているように思えてくる。 最東さんは和歌という宇宙の秘密から俳句の宇宙の世界と移り、この句などは俳句という非情な土塊にどっぷりと浸かっている感じのものである。それに比して、大島さんのこの句は、省略という俳句の宇宙の世界にいながら、より多く見知らぬ情の世界に飛翔するような、そんな雰囲気の句でもある。ともあれ、和歌の世界も俳句の世界も、宇宙の神秘なベールと繋がっており、その宇宙の秘密を知らんとする、言わば、子供遊びの雪兎に戯れるようなものであろう。これまた、知っておくべきアフォリズムと心得たい。
                                  

③ 過去と未来を通じて、すっぽんが梟のように鳴くことはないという事が科学的に立証されたとしても、少なくとも、其の日の其の晩の根津権現境内では、たしかにすっぽんが鳴いたのである。〔寺田寅彦・「二十二のアフォリズム」その三〕

  ○ 胎内のゆるき発酵養花天(最東峰・「百千鳥」)
  ○ 表紙絵に童画を選ぶ養花天(大島邦子「男坂」)
                                         最東さんと大島さんの養花天(ようかてん)の句である。養花天というと漢語の雰囲気であるが、より和語の雰囲気のある花曇(はなぐもり)の異称でもある。古来、「花開くとき風雨多し」と局所的な不順の陽気で、この頃、分けの分からない頭痛やめまいに悩まされる人も出てくる。「すっぽんが梟のように鳴く」ことがあるのかどうか、これは大変にミステリーなことではあるが、最東さんの句のように、「胎内のゆるき発酵」をするのかどうかも、これまた大変にミステリーなことなのである。また、大島さんの句のように養花天なるが故に「表紙絵に童画を選ぶ」のも、これまた、わけのわからないミステリーの世界そのものなのである。
 しかし、考えてみると、詩人・歌人・俳人は、ことごとく、梟が鳴くよりも、それが、すっぽんの鳴き声のように聞こえる特殊の感覚器を備えていることが必須のようでもあるのである。そして、普通人には見えないもの、聞こえないものを、言葉で表現するということが、そもそも、詩・歌・俳句の第一歩であろう。「すっぽんが鳴く」ということを言下に否定しないことが、これまたアフォリズムであることは言うまでもない。この養花天の二句、それぞれお二人の句作りの特徴をいかんなく発揮しているものでもある。
                                        

④ 霊山の岩の中に閉じ込められて、無数の宝石が光り輝いて居た。試みに其の中の唯一つを掘り出して此の世の空気に曝すと、忽ちに色も光りも消え褪せた一片の土塊に変わってしまった。〔寺田寅彦・「二十二のアフォリズム」その四〕

  ○ 牛の名の片仮名が読め雛まつり(最東峰・「百千鳥」)
  ○ 渡ささる赤子の弾み山眠る(大島邦子・「男坂」)
                                         最東さんの句には牛の句が多い。伊藤左千夫の「牛飼が歌よむ時に世のなかの新しき歌大いにおこる」を、地のままに行くような風姿なのである。それに比すると、大島さんの風姿は多岐にわたり、最東さんのようには「これ」というものはない。しかし、最東さんと大島さんのこの二句は、赤子や幼な子のもので、これらの句でも察知できるように「やさしさ」というものをその根底に宿している風姿には全くの共通点といっても良いであろう。それにしても、この二句は、「雛まつり」と「山眠る」の季語が抜群の働きをしている。「初孫が片仮名牛の名を読めり」では、これでは、寺田寅彦流の「色も光りも消え褪せた一片の土塊」に過ぎない。「渡ささる赤子の弾み冬の山」では、これでは、「色も光りも消え褪せた一片の土塊」にもならない。 
 「霊山の岩の中に閉じ込められている無数の宝石(句想)」も、それを自分の手ではっきりと握ってみると(句作りをすると)、これが何故「宝石に見えたのかと」(句にしたいと思ったのかと)、そんな思いはとらわれることは、これは句作りをする人にとっては日常茶飯事のことでもあるであろう。そんなときに、季語の選択をあれこれとしていると実に座り心地の良いものに遭遇する。ことほど左様に、季語は「霊山の岩の中に閉じ込められている無数の宝石」そのものであるというアフォリズムも忘れてはならないものであろう。