「新栃木集」派の俳人たち(その一)

○毛虫焼く火を青天にささげゆく(平畑静塔)

平畑静塔の第三句集『栃木集』(昭和四十六年)の中の「栃木」と題する句の一句である。その『栃木集』の後記で、静塔は「三十七年宇都宮に移住して私の考える俳句観が変化すると共に、作品もやや在来の知性中心の面が次第に野趣を帯びてきたようである」と述懐した。この「野趣を帯びてきた」とは、静塔俳論的な表現でいえば、それまでの、現代的・知識人的な理性に比重を置いていた静塔俳句から、縄文時代の狩猟人の狩猟する(句)心をもって獲物(句材)に狙いをつける、縄文的・狩猟人的な俳人格に比重を置いた静塔俳句への脱皮を意味するものということにもなるであろう。
それは、丁度、縄文人が「毛虫焼く火を青天にささげゆく」という所作に象徴されるような、そんなニュアンスに近いものであろうか。そして、〔「新栃木集」派の俳人たち〕とは、この「毛虫焼く火を青天にささげゆく」の、この得体の知れない俳諧の魔性のような「火」を「青天にささげゆく」、栃木市在住の俳人達の一つの流れ
を象徴するような、一種の象徴語として理解をしていただきたいのである。

○栃木(とちぎ)にいろいろ雨のたましいもいたり(阿部完市)

阿部完市の第二句集『にもつは絵馬』(昭和四十九年)の中の「栃木」という固有名詞を伴う一句である。この句の背後には、蕪村と同時代の俳諧作家でもあった上田秋成(うえだあきなり・俳号は無腸)の『雨月物語』の、広い意味で昔の栃木地方(市)の一角の(下都賀郡大平町)富田の大中寺での物語「青頭巾」を意識しているように思えるのである。

「(愛した童を失った僧は、発狂し、その死体を、)火に焼き、土に葬(ほうむ)る事もせで、(中略)、その肉の腐(くさ)り爛(ただ)るるを惜しみて、肉を吸(す)ひ骨をなめて、はた喫(くら)ひつくしぬ。」

凄まじい『雨月物語』の一節である。そして、この『雨月物語』の一節に想いを馳せながら、完市の句を「栃木(とちぎ)には、愛する者の死体の、〈肉を吸(す)ひ骨をなめて、はた喫(くら)ひつくしぬ〉鬼の魂の存在を嗅ぎとる」と、そんな妄想に想いを馳せたいのである。そして〔「新栃木集」派の俳人たち〕とは、この凄まじい『雨月物語』の一節を連想させるような、完市の「栃木(とちぎ)にいろいろ雨のたましいもいたり」のような、これまた、得体の知れない俳諧の魔性のような「鬼」の「魂」を凝視し続ける、栃木市在住の俳人達の一つの流れを象徴するような、一種の象徴語として理解をしていただきたいのである。