この日もタイトルどおりバルセロナからマドリードへ移動し、その後プラド美術館へ行くという相変わらずのハードスケジュールだ。

 バルセロナの中心駅、バルセロナ・サンツ駅からマドリードの中心駅、アト-チャ駅に向かう。長距離列車なので飛行機と同じように荷物のX線検査がある。

 国鉄(RENFE)ではなく民間企業3社が運航する「iryo」と呼ばれる格安高速列車に乗った。バルセロナ~マドリード間、約620㎞を2時間45分で走り、料金は日本円で2,848円とびっくりするような超安値だった。

 車内は普通の特急列車と変わりなく貧乏くさくない。

 

 車内販売のコーヒーを飲みながら、車窓からの景色を楽しむ。

 

 

 アトーチャ駅に到着した。先端に「iryo」と書かれている。

 

 アトーチャ駅は植物園のようだった。

 

 利便性を考えて駅から歩ける距離のホテルにした。1泊9,515円とバルセロナの木賃宿のようなホテルより3,000円も安い。

 

 ホテルに荷物を置くと荷をほどくことなく、すぐにプラド美術館に向かう。

 

 ホテル界隈は黒人、インド人が多く、スペイン人らしき人も貧しそうで場末感満載だった。コテコテ感は私には危険というより、人種の坩堝(るつぼ)のような、なかなかいい感じだった。

 

 プラド美術館ではスルバランの展覧会をやっているようだった。小さな絵をこんなに拡大しても、存在感たっぷりの緻密な絵だと分かる。

 

 ムリーリョの銅像。

 

 画家の中の画家、ベラスケスの銅像。

 ここから以前は入ることができたが、いまはオーバーツーリズムで入れなくしているようだ。

 

 ここはゴヤ門で出入り口になっていて、もちろん予約が必要だ。

 

 いまはオーバーツーリズムでプラド美術館は写真撮影禁止となっている。主要な作品の近くには監視員がいるが、以下は叱られながら私が撮った貴重な写真だ?

 

ディエゴ・ベラスケス『ラス・メニーナス』(『(宮廷の)女官たち』)

 まるで演劇の一場面が眼前で演じられているような、素晴らしい存在感のある絵だ。

 マルガレーテ王女に話しかける美しい女官、囁きや絹ずれの音が聞こえるようだ。他の人物を圧倒する道化の女性、悪戯で犬に足で触ろう(蹴りをいれよう)としている子供(この子も道化だろうか)、こちらを見て絵を描いているベラスケス自身、そっと見つめる鏡の中の国王夫妻、入口に立つ侍従など、みんながこの画面の中で演じている。

 世界最高の家庭には何の憂いもなかったと思われるのに、笑わせてくれるあるいは慰みものにする道化が必要だったとはどういうことだろう。このベラスケスの部屋にはこの絵にも描かれている小人や盲目の道化の絵が何枚もある。道化の存在については、シェイクスピアの「リア王」を読んでみるのも、示唆に富んでいて、考えさせられるし面白い問題だ。

 金髪の輝き、絹のドレスの光沢、胸の花飾り・・・・・しかし近づいていくと、驚いたことにまるでピンボケ写真のように描かれているではないか!

 マルガレーテはやがて15歳で11歳年上の叔父の神聖ローマ帝国皇帝レオポルト1世と政略結婚し、6人の子供を授かるが成人したのはひとりだけだった。子供が成長しなかったのも彼女自身が病弱だったのも、スペインとウィーンの両ハプスブルク家が、同族結婚を繰り返していたのが原因だったといわれている。マルガレーテ自身もウィーンで21歳の短い生涯を終えている。

 彼女はこの絵の頃が一番幸福だったかもしれない。彼女は若くして亡くなったが、ベラスケスによって永遠不滅の愛らしさを絵の中に留めた。

 

ムリーリョ『無原罪の御宿り』(写真中央)

 ムリーリョは自分の娘をモデルにして同種の絵を何枚も描いた。六人の子供のうち五人をペストで亡くしたが、生き残ったこの娘も聾唖者であったため、娘の将来を思い早くから修道院に預けた。数々のこの娘をモデルにした「無原罪の御宿り」は、この娘の純粋無垢な美しさを表現するとともに、彼女の成長の記録でもあり、父親の愛情溢れる作品でもある。ムリーリョはカディスの教会の天井画の制作中に、足場から落ちて死んだ。

 

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン『十字架降下』

 幅3m近い大作で、人物の衣装が赤、青、緑など鮮やかな色に描き分けられた美しい作品た。失神した聖母マリアとキリストが同じようなポーズをしている。キリストが落下してそのままマリアに姿が重なるようだ。

 

ハンス・メムリンク『東方三博士の礼拝』(中央パネル)、『キリスト降臨』(左翼)、『キリストの神殿奉献』(右翼)

 中央:95×145cm、左右各翼:95×63cmある大きな祭壇画だ。

 通称『カール5世の三連祭壇画』と呼ばれる。真紅の衣装がリズミカルに配置された優美な作品だ。

 

 歩き疲れたので、遅い昼御飯を「カフェ・プラド」で食べてエネルギー補給をする。

 

 エネルギーを補給したので再び参戦。

 

ヒエロニムス・ボッス『快楽の園』

 一番人が集まっていたのはこの絵だった。

 恐ろしいような、官能的なような幻想的な絵で、奇妙な生き物は宇宙からきたもののようにも、未来の世界のもののようにも見える。ボッスの頭の中はいったいどうなっているのだろう。

 

ピーテル・ブリューゲル(父)『死の勝利』

 痩せ馬に乗った死神が大きなカマを持ち、骸骨の軍隊が押し寄せてきて、逃げ惑う人々を殺戮していく、圧倒するような画面は、ブリューゲルならではだ。

 ウクライナ情勢、パレスチナ情勢をみていると、きっと近い将来、世界はこんな光景を見るに違いない。

 

ボッティチェリ『ナスタージョ・デッリ・オネスティの物語』

 ボッカッチョのデカメロン(十日物語)第5日の第8話を絵にした連作である。ラヴェンナのある騎士がある女性に何度も求愛したが、冷酷非情に拒絶され自殺してしまう。やがてその女性も亡くなり地獄で、その騎士は狩りをするように二匹の猟犬を駆り立てて、裸の彼女を追い回して殺してしまう。女はすぐに蘇りまた騎士に追いかけられて殺される。永劫にそれが繰り返される。それが毎週金曜日、ある場所、ある時間に出現する。その光景に偶然出くわした死んだ騎士と同じ境遇のナスタージョは冷淡にあしらわれているある娘や友人たちを呼んで、その場所でその時間に宴を催す。するとまたもや同じ光景が現れるのだった。恐怖に駆られた娘は自分もこういう目に合うのではないかと怖れ、ナスタージョの求婚を受け入れる。

 

 上図の一番右は第三の挿話、凄い形相の騎士と犬に追い立てられて逃げてきた裸の女性が、宴の中に乱入してきたところ。彼女の腹を開いて内臓を犬に食べさせる別の絵もある。絵としては色使いも鮮やかでボッティチェリらしくとても美しい。

 ところで、この話の最後にボッカッチョは次のように書いている。

 「恐怖が原因となって立派な善が生みだされたのですが、これがもとになってラヴェンナの女たちがみな恐がりになってしまい、いままでとは打って変わって、それから後には、あまりにもたやすく、女たちが男の喜びに身を任せるようになってしまいました」(河島英昭訳)

 

エルドアルド・ロザレス『マクシミーナ・マルチネス・デ・ペドロ―ザの肖像』

 知らない画家だが美しい肖像画だったのでここに載せる。

 

 

『ゴヤの銅像』

 

 

 ホテルに戻るとすぐ近くのカルフールに晩飯のサンドイッチを買いに行った。お国柄、生ハムが足ごと売っていた。99ユーロとある。17,000円くらいか。意外と安い?

 

 私の持っている『プラド美術館』(全5巻)の画集。

 
 箱の裏側には『ラスメニーニャス』のマルガレーテ王女と女官の部分が使われている。