カズベキからトビリシに戻る。これで「天国に一番近い教会」ともいわれるツミンダサメバ教会(聖三位一体教会)も見納めだ。

 

 

 

 

 

 

 

 十字架峠の近くでは地中から溢れ出た石灰分と鉄分によってできたオレンジ色をしたトラバーチン(石灰華)の岩肌が見られる。

 

 

「十字架峠」(標高2,395m)

 名前の由来はここに11世紀のグルジア王ダヴィド4世によって、イスラム教国、オセチアとの境界を示すために木製の十字架立てられたことによるという。プーシキンやレールモントフもここに来ている。この石碑を見た記録があるそうだ。2395(標高)、1697(年)という数字が読める。グーグル翻訳で読むと「十字架峠」とロシア語で書かれている。

 

 

 峠の草地には第二次世界大戦でソ連の捕虜になったドイツ人捕虜のお墓がある。「ここに第二次世界大戦で犠牲となった捕虜が眠る」とドイツ語で記されている。シベリアで強制労働をさせられた日本人捕虜を思い出す。冬は豪雪となるこんな過酷な環境のところで、道路工事などの重労働を強いられ、故郷に戻ることもなく、むなしく亡くなっていった無念を思うと胸が痛む。

 

 羊が放牧されていた。

 

「友好のモニュメント」

 

 壁画に1783と1983という数字が見られる。1783年にロシア帝国とグルジア東部のカルトリ・カヘティ王国が結んだ、ジョージアがロシアの保護下にはいることを取り決めた条約締結200周年を記念して建てられた。

 いまは南オセチア紛争などの関係悪化から、ジョージアの人たちはどう思っているのだろう。

 

 展望地から谷を見下ろす。圧倒するような自然の風景で、渓谷は恐ろしく深い。

 

 

 キバナツツジが群生していた。