この前はオスロ空港で書いたので、時間もなくスマホの写真(一眼レフカメラでも撮っている)しか載せられなったが、いまは帰国して写真の整理もほぼ完了したので時系列で順番に書くことにします。

 王宮のあとは『ムンク美術館』に行った。随分以前に、おそらくまだフィルムカメラの時代に行ったことがあったが、ムンク美術館は一昨年新築したということで、巨大な現代建築に変わっていて驚いた。

 

 

「マドンナ」

 

「思春期」

 批評家によると背後の大きな影は思春期の彼女の不安を表しているという。なるほどうまい解釈をする。

 

「生命のダンス」

 題名とは裏腹に人々の目の廻りは落ち込み隈となっている。ゾンビの舞踏会という感じだ。ムンクは幼い時に母親と姉を肺結核で亡くし、生の儚さ、生の不安、死の恐怖が心の傷痕となった。不安から逃れるためか、アル中で神経症患者だった。とはいっても彼は特異な画家として成功し、長生きして80歳まで生きた。

 

「橋の上の少女たち」

 私はムンクの絵の中でこの絵が一番好きだ。第一に色彩が美しい。少女たちの顔が見えなくて何を見ているのか、三人がどんな話をしているのか想像をかき立てられる。

 

「不安」

 以下の3枚は構図、色彩がよく似ている。上掲の「橋の上の少女たち」と同様、欄干が画面を斜めに走っている。この構図はきっとムンクには何か深い意味があったに違いない。

 

「絶望」

 

「叫び」

 とても暗い部屋で人も多くしっかり構えることができなくて上手く撮れなかった。叫びにはいろいろなバージョンがあり、これはたぶんパステル画だと思う。

 

「フリードリッヒ・ニーチェの肖像」

 ムンクは医師の息子でパリに留学したりとお坊ちゃま育ちで早くから特異な作風で成功した。妹がニーチェと知り合いでこの肖像画が描かれた。

 

劇作家の「ストリントベリー」

 

 

 下の階では『ゴヤとムンク展』が開かれていた。飛行機の時間があって観る時間は30分ほどしかなかった。

 油絵は少なく、版画がほとんどだった。

 

ゴヤ「秋」

 

ゴヤの「自画像」

 ゴヤには美術好きな人には知られているが『気まぐれ』『戦争の惨禍』『闘牛技』『妄』の4大版画作品集がある。50歳を超えて製作されたものでヨーロッパに激震をあたえたフランス革命という混沌とした激動の時代に描かれた。

 

『気まぐれ』

「救いの道はない」

 異端審問で有罪になるとロバにくくられ、市中引き回しにされ処刑される。当時の注釈書によると「この女は貧しいうえに醜い。だからどうして救いの道があるだろうか」と書かれているそうだ。

 

『気まぐれ』

「むしり取られて追い出され」

 小さくて分かりにくいだろうが毛をむしられた鶏を箒で叩いて追い出そうとしている。鶏は人間の顔をしている。女は売春婦だ。鶏の足に包帯をしているものがいるが梅毒に感染している。

 

『気まぐれ』

「みんな引っかかるだろう」

 胸の谷間を露わにした売春婦に引っかかった軍人や修道士たちはやはり鶏が人間の顔をしているが、毛をむしられ、はらわたを引き抜かれる。やり手婆は彼らが成仏できるように神に祈っている。

 

『気まぐれ』

「理性の眠りは妖怪を生む」 

とても有名な作品だ。

 

『気まぐれ』

「先祖まで」

 自分の血族をなぞって自慢に思っている愚かな貴族をロバに託して風刺した。

 

 

『気まぐれ』

「絞首刑にあった死人の歯が媚薬によく効く」

 

『気まぐれ』

「お前にはかつげまい」

 担がれているロバは貴族と聖職者。苦しそうに担いでいる男たちは「第三身分」の労働者たちだ。さかさまの世界が描かれている。

 

『気まぐれ』

「修行」

 魔女はまず空中に浮かぶ練習をするそうな。

 

『気まぐれ』

「美しき女教師」

 

『気まぐれ』

「飛んで行ってしまった」

 アルバ公爵夫人との別れを描いたか?1796年の夏を公爵夫人と過ごしたが、その後捨てられてしまった。

 

 ナポレオン軍(トルコ人などの傭兵が多くいた。ゴヤの絵にはターバンに青龍刀をもった兵士が描かれている)にスペインは攻め込まれ(1808年~1814年)大混乱となり、戦後の内戦は1850年までつづいた。

 どこかいまのウクライナに似ている。『戦争の惨禍』は現代のジャーナリストが見ているのに写真にして公開しないような映像が描かれている。きっとこの版画に描かれていることと同じことがウクライナで行われている。

 

『戦争の惨禍』

「そのために生まれてきたのか?」

戦場で屍の上をヘドを吐きながらさまよう。この死者たちはこんなことのために生まれてきたのか?

 

『戦争の惨禍』

「ナイフ一本もっていたばかりに」

 占領したフランス軍は武器に類するものを所持することを一切禁止した。ナイフ一本持っていても死刑だった。

 

『戦争の惨禍』

「死体に対しての、何たる武勇ぞ」

 すでに抵抗することもできない死体を切り刻んで木に括り付けた。

 

『戦争の惨禍』

「縄が切れるぞ」

 不安定な綱渡りは、ナポレオン支配下のカトリック教会の姿だった。

 

『戦争の惨禍』

「かくて救いはない」

 

『妄』

「飛翔図」

 

ゴヤ「魔女たち」

 

 ゴヤの版画が好きで、版画を玄関と机の透明マットに挟んで飾っている。

 
 樹上で生活する人や暗闇の中を飛ぶ人間、摩訶不思議な人達に私は惹かれる。
 

 ちょっとだけオスロの街中、一番の目抜き通りを紹介しておこう。

 

‟Karl Johans Gate”

 王宮からまっすぐに延びている。歴史的建造物が並び、ヨーロッパの落ち着いた上品な雰囲気が漂う。

 

 

『国立劇場』

 

『オスロ市庁舎』

 ノーベル平和賞の授賞式はここで行われる。平和賞だけはノーベルの遺言によってノルウェーで行われる。なんでもスウェーデンとノルウェーの和解と平和を祈念してそうなったらしい。したがって平和賞のみ授与主体がノルウェー政府でスウェーデン政府ではないそうだ。

 

 

『国会議事堂』

 

 高そうなホテル、百貨店、レスラン、カフェが並んでいる。

 

 

 

 

 この通りの突き当りに王宮が見える。

 

 

 

 

 

 待ち合わせ場所のオスロ大学の前に戻ってきた。奥のアウラ音楽堂にはムンクの壁画があるらしいが残念ながら観に行く時間はなかった。