「四国のみち」(四国自然歩道)の一部で、椿のトンネルを抜け、珊瑚樹の林、展望台天狗の鼻、ビロウの自生地などを散策できる。
あいにく花の季節ではないので椿も珊瑚樹も花をつけていなかった。
「椿のトンネル」
「珊瑚樹」
「天狗の鼻」からは岬の突端がよく見える。
天気はいいが太平洋の荒々しい波が間断なく打ち寄せている。
次はこの展望台に向かう。
「ビロウ」(ヤシ科の高木樹)
展望台に到着した。
「天狗の鼻」の展望台も見える。
別な場所の「椿のトンネル」。
『足摺岬灯台』
少し離れているが、最後に白山洞門を見て、竜串海岸に向かった。
『足摺岬』田宮虎彦著
十数年前大学生の「私」は死のうと思って足摺岬へやってきた。母が死に父とは憎みあっていて、金もなく結核も患っていた。理由もなく死にたかった。
足摺岬は時化(しけ)で雨が降り続き、熱を出して宿で寝込んでいた。同宿には八十過ぎの老いた遍路と薬屋がいた。宿は三十七八の内儀と十七くらいの娘と小さな弟がいた。内儀と娘の介護によって回復し、遍路に自殺志願を見破られ「のう、おぬし、生きることは辛いものじゃが、生きておる方がなんぼよいことか」などと諭される。
「私」はやがて東京に戻りけちな「職業」につくが何とか食べていけるようになり、三年ほどして娘の八重を迎えに来る。遍路はもういなかった。高齢だった遍路はもう亡くなっているのだろう。
八重と東京で苦しい生活を十年余りおくるが八重は亡くなってしまう。田舎から大都会に連れてきてしまった自分が健康的な田舎娘だった八重を殺してしまったと思う。
戦後衝動的に足摺岬の八重の墓に向かう。あの時と同じように雨だった。八重の小さかった弟は特攻隊で生き残り、大酒を飲み荒れる毎日だった。帰る時、弟の酒におぼれる叫び声を聞きながら、あの遍路の「夢だ」という声が聞こえたような気がしたのだった。
それなりの水準の小説だと思うが、まったく救いのない小説なのでそれほどお勧めはしない。遍路の言うように「生きておる方がなんぼよいことか」ととても思えないからだ。
表紙の絵は「天狗の鼻」からの風景かな。