母島はご覧のように南北に長い島である。
その「都道最南端」のロータリーまでやってきた。
ここからトレッキングコースがあり、まさに最南端の岬まで行けるのだが、午後に「ははじま丸」が父島に戻るまでの数時間しか時間がないので駆け足の観光だ。
「都道最南端」の看板もある。
実物は見かけなかったが、ヤドカリ注意の道路標識。天然記念物の大ヤドカリが4種いるそうだ。
新ヘリポート。妹島、姪島などの島々が見える。
『ロース記念館』
ドイツのブレーメン出身の捕鯨船の船員フレデリック・ロルフスが1869年(明治2年)に来島して住み着き、母島を開拓した。かつては母島には畑が斜面に広がっていた。
タコノキの葉を編んだ工芸品。
いまは集落は「ははじま丸」が接岸する沖村しかないが、戦前は沖村のほかに北村という集落があった。北村は今はジャングルとなり夢の跡となっている。中央上の子供を背負った女の子の後ろの定期船が接岸する艀(はしけ)が今も見られる。
写真中央下の集落は今は小学校の石の階段や石垣がかろうじて草木の中に判別できるのみだ。
下段右の写真を見ると山の斜面まで畑になっている。母島の住民は1940年太平洋戦争の激化とともに本土へ強制疎開させられ、敗戦後1968年にアメリカから返還されるまで母島は30年近く無人島となっていた。その間、母島は原始の森へと回帰していったのだった。
小笠原ビロウ、『ロース記念館』の屋根はこれで葺かれている。いまはこれを葺ける人がいなくて、小笠原ビロウで葺かれた唯一の建物となっている。












