シェイクスピアの『ヴェニスの商人』は面白い仕掛けが満載の素晴らしい作品で、その中にはこんなロマンチックなセリフがまるでフーガのような文章技巧を用いて展開する場面がある。ロレンゾーと敵役(かたきやく)シャイロックの娘ジェシカが駆け落ちして、夏の夜空を眺めながら、
ロレンゾー
きっとこんな夜だった、かぐわしい風が樹々に口づけしながら、音もたてずに吹き過ぎる、そんな夜だったに違いない、あのトロイラスがトロイの城壁に立って、切ない心のため息を、ギリシャの陣営に、そのクレシダの枕辺に、そっと送ってよこしたのは。
ジェシカ
きっとこんな夜だった、あのシスピが恐る恐る夜露をふんで、恋する男に逢いに行き、ライオンの影におびえて逃げ帰ったのも。
ロレンゾー
きっとこんな夜だった、ダイドーが荒海の岸辺に立って、柳の小枝をふりながら、去った恋人をふたたびカルタゴに呼びもどそうとしたのも。
ジェシカ
きっとこんな夜だった、あのメーディアが、あの老いたるイースンを若返らせるため、魔法の薬草を集め歩いたのも。
ロレンゾー
きっとこんな夜だった、あのジェシカという娘が、その父親の金持ちのユダヤ人の目をかすめ、ろくでなしの恋人と手を組んでヴェニスを逃げ出し、ベルモントくんだりまで落ち延びてきたのは。
ジェシカ
きっとこんな夜だった、ロレンゾーという若者が、お前が好きだと、愛の誓いをまきちらし、嘘八百の出まかせで、その娘の心を盗みとったのは。
ロレンゾー
きっとこんな夜だった、そのかわいいジェシカが、見よう見まねのじゃじゃ馬ぶり!恋しい男に噛みつくのを、男が黙って聴いていたのは。
ジェシカ
こんな夜ごっこなら、負けなくてよ、邪魔さえはいらなければ。
・
・
・
ロレンゾー
なんてきれいなのだろう、月の光が堤に眠っている!ここに腰をおろして、忍びよる楽の音に耳を傾けていよう――しっとりとした静けさ、そしてこの夜のとばり、快い楽の調べにふさわしい・・・・・(腰をおろし)お座り、ジェシカ、ごらん、空を、まるで広い床のようだ、黄金の小皿をびっしりはめこんで、それ、そうしてお前の眼に映るどんな小さな星だって空をぐるぐる廻りながら、みんな天使のように歌を歌っているのだよ、・・・・・永遠の魂は快い楽の音で溢れている!だが、ぼくたちの魂は、いずれは朽ちはてる塵泥(ちりひじ)の肉の衣に蔽われて、いまはそれが聞こえないのだ・・・・・
(『ヴェニスの商人』福田恆存訳)
随分引用が長くなったが、なんだ表題と違って『ヴェニスの商人』の紹介かと言ってはいけない。ロレンゾーはいつかは死んでいく我々には宇宙の星々の楽の音が聞こえないと言っているが、もしその楽の音が聞こえるとしたら、このバッハの『フーガの技法』だと私は思うからだ。バッハの絶筆となったこの曲は、広大無辺の宇宙の暗闇から音符の一音一音が降ってくるようだ。無限に続くかと思われるフーガの旋律、死に至ってバッハはフーガという宇宙の奥義に到達した。
『フーガの技法』は楽器指定もないのでいろいろな楽器演奏のバージョンがある。右から順にオーケストラ盤、弦楽四重奏盤、ピアノ盤。

“YOU TUBE”にピアノ演奏が載っていた。これはほんの一部で私の持っているピアノ盤はANGELA HEWITTの演奏でCD2枚組という長大なものだ。
ロレンゾー
きっとこんな夜だった、かぐわしい風が樹々に口づけしながら、音もたてずに吹き過ぎる、そんな夜だったに違いない、あのトロイラスがトロイの城壁に立って、切ない心のため息を、ギリシャの陣営に、そのクレシダの枕辺に、そっと送ってよこしたのは。
ジェシカ
きっとこんな夜だった、あのシスピが恐る恐る夜露をふんで、恋する男に逢いに行き、ライオンの影におびえて逃げ帰ったのも。
ロレンゾー
きっとこんな夜だった、ダイドーが荒海の岸辺に立って、柳の小枝をふりながら、去った恋人をふたたびカルタゴに呼びもどそうとしたのも。
ジェシカ
きっとこんな夜だった、あのメーディアが、あの老いたるイースンを若返らせるため、魔法の薬草を集め歩いたのも。
ロレンゾー
きっとこんな夜だった、あのジェシカという娘が、その父親の金持ちのユダヤ人の目をかすめ、ろくでなしの恋人と手を組んでヴェニスを逃げ出し、ベルモントくんだりまで落ち延びてきたのは。
ジェシカ
きっとこんな夜だった、ロレンゾーという若者が、お前が好きだと、愛の誓いをまきちらし、嘘八百の出まかせで、その娘の心を盗みとったのは。
ロレンゾー
きっとこんな夜だった、そのかわいいジェシカが、見よう見まねのじゃじゃ馬ぶり!恋しい男に噛みつくのを、男が黙って聴いていたのは。
ジェシカ
こんな夜ごっこなら、負けなくてよ、邪魔さえはいらなければ。
・
・
・
ロレンゾー
なんてきれいなのだろう、月の光が堤に眠っている!ここに腰をおろして、忍びよる楽の音に耳を傾けていよう――しっとりとした静けさ、そしてこの夜のとばり、快い楽の調べにふさわしい・・・・・(腰をおろし)お座り、ジェシカ、ごらん、空を、まるで広い床のようだ、黄金の小皿をびっしりはめこんで、それ、そうしてお前の眼に映るどんな小さな星だって空をぐるぐる廻りながら、みんな天使のように歌を歌っているのだよ、・・・・・永遠の魂は快い楽の音で溢れている!だが、ぼくたちの魂は、いずれは朽ちはてる塵泥(ちりひじ)の肉の衣に蔽われて、いまはそれが聞こえないのだ・・・・・
(『ヴェニスの商人』福田恆存訳)
随分引用が長くなったが、なんだ表題と違って『ヴェニスの商人』の紹介かと言ってはいけない。ロレンゾーはいつかは死んでいく我々には宇宙の星々の楽の音が聞こえないと言っているが、もしその楽の音が聞こえるとしたら、このバッハの『フーガの技法』だと私は思うからだ。バッハの絶筆となったこの曲は、広大無辺の宇宙の暗闇から音符の一音一音が降ってくるようだ。無限に続くかと思われるフーガの旋律、死に至ってバッハはフーガという宇宙の奥義に到達した。
『フーガの技法』は楽器指定もないのでいろいろな楽器演奏のバージョンがある。右から順にオーケストラ盤、弦楽四重奏盤、ピアノ盤。

“YOU TUBE”にピアノ演奏が載っていた。これはほんの一部で私の持っているピアノ盤はANGELA HEWITTの演奏でCD2枚組という長大なものだ。