〜Peace of mind〜


辛い、苦しい

地獄のような現実から抜け出したい


宇宙の法則を駆使して

あたなの心が豊かになる方法を伝授


見ている世界は古い思考の結果に過ぎない


今この瞬間から人生は創られる



宇宙理論や量子力学、心理学を軸に心が安心した日々を過ごすお手伝いをする宇宙理論カウンセラーのいくよです

いくよってどんな人?

気になる方はこちらもどうぞお願い


〜育代の人生〜

宇宙理論に目醒めるまで
その②友達の死
母親が家出をした学生時代編



こんにちは♪

前回の【①個性を抑え込まれた幼少期】↓『【育代の人生〜宇宙理論に目醒めるまで】その①個性を抑え込まれ完全自己否定だった幼少期』〜Peace of mind〜辛い、苦しい地獄のような現実から抜け出したい宇宙の法則を駆使してあたなの心が豊かになる方法を伝授見ている世界は古い思考の結果に…リンクameblo.jp


の続きですひらめき電球





中学に入学して
運動神経だけは
昔から良かったせいか
スポーツに明け暮れる日々

休みもほぼなく
毎日バスケ

でも、楽しかったか?
と言われれば、、、?

友達と身体を動かすのは
楽しかったけど
吐くような練習は
嫌だった

本当に厳しいコーチで
竹刀で叩かれたこともある

中学3年間で
我慢、根性と言うものを
叩き込まれた気がする

誰にも部活に行けと
言われたわけじゃない

ただ、行かないと
自分が気まずいだけ

キャプテンという
ポジションを与えられ
嬉しさと同時に
プレッシャーも
かなり感じていたのも事実

後輩のお手本にならないといけない
嫌でも行かないといけない
吐きそうでも
走らないといけない
生理でお腹痛くても
耐えて試合にでないといけない

それが当たり前だと思ってた

そんな私に転機が訪れる

中三の秋頃、、、

高校に行っても
バスケを続けようと
思っていた矢先

体育の授業で大怪我をした
右腕複雑骨折
その日のうちに手術
一週間の入院

リハビリをして
また高校でバスケでもするか!
と思い高校進学

その矢先
弟と大喧嘩して
再び同じ場所を骨折

これがきっかけで
バスケを辞めることになる


高校には気の合う友達がいなかった

なんて言うか
高校デビューしたような子達が
キャーキャーやってるのが
私には合わなかった

何が楽しいかの?
何でそんなに浮かれてるのか?

かなり冷めた奴になっていた

バスケも出来ない
気の合う友達もいない
上部だけの友達

つまらない、つまらない

私がいる場所はここじゃ無い

そう思ってすぐ親に
「私、学校辞める」

担任にも
「辞めるんで退学届下さい」
と、直談判

もちろんくれるはずない

中退を止める教師
様子見をする親

私は強行突破に出た
"単位を落とせば、留年か、退学だ"
ならば、単位を落として辞めてやる

それから私は
またまた不登校になった

親にうるさく
行けとは言われなかった

ただ、ずっと
私は自分の居場所を探していた

午後になると
地元の友達と集まり

遅くまでずっと話してる

そんな状態が数ヶ月続いて
担任もとうとう折れた

退学届を渡してくれたのだ

私は高校を中退した

居場所がないこの学校から
逃げるように
ロッカーの荷物をまとめて
学校を後にした事を
今でも覚えている


それからバイドを点々とし
相変わらず夜は友達と戯れる日々


何が楽しかったわけでもない


でも、皆でワイワイやってる事で

現実逃避をしていたんだと思う


やさぐれていた日々


そんな矢先
母親が突然家出をする

父親に不倫がバレたのだ

母の気持ちも
理解が出来る

私の父は
真面目に仕事もするし
自分の小遣い範囲での
博打しかしない

女遊びも
私の知る範囲では
した事ない
(本当は分からないけど)

だけど
人に何かを合わせるのが
すごぶる下手だった

人の話も聞かない
人の話をぶった斬る

子供の面倒も
全く見ない
家事なんてやってる所
見たことない

それでも

母が父に怒ってるところは
見たことない

父の文句を言ってるのも
聞いたことない

きっとずっと我慢してたんだと思う


その母の気持ちを
解放させる人が
現れてしまったんだと
今なら理解できる


家出の前夜
部屋に入ってきて
明日の朝家を出て行くと
告げられた私

17歳という年頃のせいなのか
嫌だと言う気持ちを
素直に伝えることもできず
「ふ〜ん」と一言返した

翌朝母の姿は無かった

その年
1番上の姉が結婚し
実家から出る

自分のやりたい事も見つからず
ただ毎日を退屈に過ごしていた私

父とぶつかり家をでる次女

寂しさからか?
人に騙されおかしくなっていた兄

警察沙汰ばかり起こし荒れる弟

もはや家庭は崩壊

そんな私達を
父は一人で見ていてくれた

今思えば感謝しかない

1番辛かったのは父だったはず

母がいなくなっても
相変わらず仕事は真面目に行くし
弟が警察から呼ばれれば
仕事の合間に迎えに行く

私はただ
自分がこの状況で
何をしていいのか
全く分からず
ただ無駄だと思える
毎日を過ごしていた


いつも夜
御宝前の前で泣きながら

母が戻ってくると
強く信じていた父



18歳になって
ある日突然遊び仲間だった友達が
白血病になったと知らされた


一時退院した友達は
いつもと変わらない笑顔だった

その友達が言った言葉
「お前は自由でいいよなー!
好きなこと出来るの羨ましいよ」

そうだよね
だって彼は病気で
自分の思うように
自由に出来ない

そんな彼を目の前にしても
私の心の中は
生きてるのって
楽しくない

楽に死ねるなら
死んでもいいと
ずっと思っていた

生きたくて
病気と戦っている
友人がいるにも関わらず
最低な考えの
人間が完成していた

それから数ヶ月後
友達は再入院した

病院からかけてきてくれた
最後の電話
「俺やっぱ死ぬのかな」

その言葉が今でも忘れられない

あんなに強気だったのに
病気とはここまで人を
弱らせてしまうのか

それから数週間後
彼は19歳と言う若さで
この世を去った

生きるってなんだ?
死ってなんだ?

何でこんな若いのに
神様ってなんだよ

生きたいと思っている人間が死んで
死にたいと思っている人間が生きる

不公平だ
何なんだ?

健康すぎる自分に
感謝すら分からない

自分が何の為に生きてるのか

ずーーーっと
模索し続けていた10代、、、



20代

旦那さんとの出会い
母が戻ってくる奇跡!?が起こる



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