音と香りで心身を整えるセラピー。

さらに数秘セッションや波動測定器を使って、

自分と向き合い笑顔の時間を増やすお手伝い。

プライベートサロン

『じぶんサポートサロン HANON(ハノン)』

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同じ高校球児を育ててきた、次男が小学校の時からのママ友と

お疲れ様会をした。

 

別々の高校へ進み、二人とも最後の大会でベンチ入りを

果たすことはできなかった。

果たすことできなかったのは同じだったけれど、

後味がこんなにも違うものかと思った。

 

我が子は、怪我もあったしベンチに入れなくても、

まぁ仕方のないことだと諦めがついていた。

それでも最後まで練習も選手たちと同じようにやらせてもらったし、

なんなら練習試合に出してもらって結果も出せたし、

監督から最後にかけてもらった言葉は「出してやりたかった。」

まぁ、やれることはやったという気持ちで終えられた。

私も、本当に心から選手たちを応援することができたし、

楽しく終えることができた。

 

一方その同級生は、ベンチに入れる実力はあるのにも関わらず、

いろんな言いがかりをつけられたり、

よくわからない理由で練習に参加させてもらえなかったりと、

納得のいかない終わり方をしていた。

ママ友も最後の応援だというのに行く気にはなれず、欠席。

毎年ベスト16ぐらいまでは勝ち上がる学校なのだが、

今回はあっさり初戦で負けてしまった。

正直「そうでしょうね。」と思ったのだそう。

3年生は大概負けたら即引退なので、

息子の引退の瞬間に立ち会うことができぬまま、

長年続けてきた野球サポートは終了。

なんだか、話していても怒りを抱えているというのか、

スッキリしていない感じだった。

 

 

大会の開会式で配られた団扇には「高校野球で得られたものは?」

と記入する欄があった。

その子は大きく『理不尽』と書いていた。

 

同じ野球をしていても、自分達が選んだ学校、そしてその時のメンバー、

監督や指導者によって、こんなにも心に残るものが変わってくるのだな、と思った。

そして、比べてはいけないのだけれど、

なんだかんだとうちの子は恵まれていたし、

幸せな時間を過ごせたのだと改めて感じた。

 

一方的に聞いている話だから、なんとも言えないところではあるが、

ママ友が涙ながらに話してくれたその友達が受けてきた仕打ちを聞いて、

腹が立ったし、本人が言っているようにまさに『理不尽』だった。

 

確かに私も、理不尽を感じた時期もあったし、次男もあったと思う。

でも、それをも気にせず、ただひたすら自分のできることを

やり続けた次男は強かったと思う。

相手に左右されない自分。

そこは本当に見習うべき部分だと、いつも思う。

人がどうだから、とかは関係ない。

自分がすべきことをすれば良いということ。

感情に左右されない行動。

その違いが最後を迎えた時の気持ちの違いではないかと思う。

 

しかし、子供に高校野球をやっていて得られたものが『理不尽』と言わせてしまう

現場があるといういうことは、問題だ。

野球だけでなく、どんな場であっても指導を受ける場にいる場合、

確かに人が指揮をとることだから、理不尽な思いをすることも多々ある。

でも、指導する立場である人たちにはそれにも増して

何かを与えられる人であることを望む。

 

この先どんな思いで成長していくのだろう。

多分自分が与えてしまう理不尽も体験するだろう。

それに対してどう対処していくのかどうか。

高校野球で得た『理不尽』を上手く自分の糧にして育っていってほしい。

 

子供を育てるということは、とても大変なことで、

大きな責任があるのだということを、

今更ながら思い知らされた。