今週は、事務所のお花見と弁護士会のお花見でした。
夜と昼どちらも行きましたが、とても綺麗でしたね。
「桜」について、私たちは他の花とは違う特別な扱いをしています。
重大な事件のニュースの間に、桜が咲いたというニュースがわざわざ放送されています。
2010年4月に実施された「全国お花見調査」によると、サクラについて「とっても好き」と回答した日本人は85%に達したそうです。
私も花の中では「桜」が一番好きです。
さて、どうしてここまで僕らは「桜」が好きなのでしょうか。
今日は法律とは全く関係ないのですが、昔にさかのぼって少し考えてみましょう。
平安時代から日本人にとって「桜」は特別な花でした。短歌で「花」と言えば桜のことを指していました。
小野小町の
「花の色は うつりにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに」
紀友則の
「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづこころなく 花の散るらむ」
といった短歌は「桜」の一瞬のうちに散るはかなさを歌にしています。
百人一首では全部含めて6首も「桜」が短歌に登場してきます。
明治時代に入って
昔の5千円札の新渡戸稲造さんは、「武士道」という本の中で、「桜」を日本人が好きな理由について「桜は日本人の心をあらわしているからだ」と分析しました。
バラと比較していて結構面白いのですが、少し抜き出しますと
「サクラの花の美しさには気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。
私たちはヨーロッパ人とバラの花を愛でる心情をわかち合うことはできない。バラには桜花のもつ純真さが欠けている。それのみならず、バラは、その甘美さの陰にとげを隠している。
バラの花はいつとはなく散り果てるよりも、枝についたまま朽ち果てることを好むかのようである。
その生への執着は死を厭い、恐れているようでもある。 しかもこの花はあでやかな色合いや、濃厚な香りがある。
これらはすべて日本の桜にはない特性である。
私たちの日本の花、すなわちサクラは、その美しい粧いの下にとげや毒を隠し持ってはいない。 自然のおもむくままにいつでもその生命を棄てる用意がある。
その色合いはけっして華美とはいいがたく、その淡い香りには飽きることがない。 」
という特徴をもった桜は、大和魂の典型としています。
「華美ではなく、淡い香りがもつ気品と優雅さ」
「とげや毒を隠し持たない純真さ」
「自然のおもむくままに、いつでもその命を棄てる用意があるというはかなさ、潔さ」
とても素敵だと思いました。
「いつでもその命を棄てる用意がある」という点について、
東日本大震災のときに、どんな破滅的な状況でもそれを自然のものとして受け入れている日本人が世界から絶賛されていましたが、こういったところから来ているのではないかと思いました。
いつまでも、桜のような心を持っていたいですね。
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